神様との出会い
下元 美穂

(挫折を感じるまで)
 私は幼い頃から外国の書物にひかれ、憧れて少女時代を過ごしました。その中で特に好きだったのがワイルダーの「大草原の小さな家」。その家庭に見られる愛とその中心にあった神様の存在に、心ひかれるものを強く感じていました。そして、私はと言うと、家の周りにある神様(偶像)に何の信仰もなく手をあわせていたのです。

 初めて挫折を経験したのは、20歳頃、希望どおりいくはずだった就職が中々うまくいかず、心の内を相談できる友もなく、賑やかな都会の街の人々も、私の目には、冷たく映り、虚しさと孤独を感じる毎日でした。

(イエス様との出会い)
 寝つかれぬ日々も幾日かあり、そんな夜に耳にしたキリスト教のラジオ番組で心に小さな安らぎを与えられました。番組の最後に教会へのお誘いがあって、近くの教会を探し、初めて教会へ行くことになりました。相応しくないという思いと、ドキドキしたことを思い出します。でも、教会で感じたことは、美しい賛美と暖かい人たち、アットホームな清い交わり。その中で私の心は慰めら
れ、何度か続けて行くようになりましたが、そのままその教会を後にし、再び教会の門を叩いたのは、数カ月後でした。

 再び教会へ通うようになってから、確かなもの(信仰)を心に持って歩むことの素晴らしさをクリスチャンの中に見い出し、そして、私もそんな生き方がしたい、と思うようになっていきました。でも、私の家は仏教だし、心も清くない。それに、聖書もほとんど知らない、クリスチャンになる資格はない、と勝手に思い込んでいたのです。 

 しかし、初めて牧師と話した時「信じるのに資格はいらない。信じたい。その気持ちで十分なのだよ」と言われ、聖書のお話の中で、「あなたは罪人だと認めますか? あなたの罪の為にイエス・キリストが十字架に掛かられ死んで下さったこと、三日目によみがえったことを信じますか?」と質問されました。私の心はキリストを受け入れる準備が出来ていて、全て喜んで「はい」と答えることが出来ました。

 心の中で長い間探してきた神様イエス・キリストをハッキリ心にお迎えすることができ、告白が出来たことに、私の心は喜びと平安で一杯になりました。

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られたものである。古いものは過ぎ去った。見よ、全てが新しくなったのである」 コリント5章17節
(クリスチャンとの交わりと成長)
 その後、フランスに留学する機会が与えられ、パリにある同じ信仰を持つ人たちの群れの中で、私の心は更に励まされ、成長することができました。その中で教えられた事は、主イエス様はどこへ行くにも私と共におられ、私の必要を知り、全てを満たして下さるお方だと言うことです。

(イエス様への私の感謝)
 外国文学の家庭に憧れてきた私にとって、本の中の世界は本当の神様を知る助けになったと思います。

 そして、今、憧れてきたクリスチャンホームを持つことが許され、家族と共に励ましあって歩める生活に導いて下さった神様に、心から感謝しています。相変わらず困難を経験していますが、生ける神様が何時も共におられますので恐れることなく前進していけます。イエス様は私の生涯で一番の財産、何物にも代えられない尊い方だと心から感謝しています。

「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。・・まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追ってくるで しょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」 詩編23編1, 6節