神様との出会い
下元 孝俊

(信仰を持つ前)
 私はイエス.キリストを信じクリスチャンになった者です。信じた経緯をお話させて下さい。

 私は田舎育ちで東京の学校に入り、京都の会社に勤めました。神様について興味はありましたが、ぼんやりとしたもので、本当にいるとは思っていなかったと思います。ただ、人生は良いことをすれば、良い報いが来ると考えていました。

 ところが、会社員として、30歳をまじかにしていた時です。自分の思い描いた人生ではなかったのです。更に、一体何のために生きているのか?将来はどうなるのか?さらには死後どうなるのか?時がどんどん過ぎてゆく中で、自分は何も分かってなく、心の満足がないことに焦りました。今までの生き方に納得できずに、この先の将来が灰色に見えました。人は何のために生きているのか分かりませんでした。
 その時、いつも読まなくても持ち歩いていた聖書が気になり、そして、高校生時代に一度だけ行った教会の集会を思い出し、もう一度、神様を求めたい思いがわき出しました。当時、私は色々なものに手を出し、何かしらに熱中しようとしましたが、どれも満足を与えてくれませんでした。そこで、教会に行ったのです。

(キリストとの出会い)
 初めての教会出席はアメリカ人宣教師の伝道集会でした。話の内容はほとんど覚えていませんが、最後にイエス.キリストを信じませんかと招きがありました。今まで何も生き甲斐を見つけることが出来なかったことを思い出し、拒めば今まで通りの生活を続けるばかりと思いました。そこで、私の信じる神の座にイエス.キリストを信じ受け入れる決心をしたのです。それから、イエス.キリストが私の罪のために十字架にかかられ、御自身の命を捨てて、さまよっている羊のような私を救い出して下さったことを知りました。

「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。...聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終わることがない」と言っている」 (聖書)


(信じた祝福)
 信じる前はすべてが競争でした。誰よりも優れた評価を受けることがすべてでした。自分をよく見せるように努力し、自分をいろいろな分野で向上させることに一生懸命でした。世間的には良いことだと思います。しかし、この生き方は自分を疲れさせ、そして、生き甲斐までには遥か遠いものでした。

 信仰は私に神様の存在を確かなものとさせ、人の評価ではなく、神様の前にどのように生きるかが大切なことを教えてくれました。私のような疑い深い者を、信仰に導いて下さり、豊かな平安を下さる神様に驚いています。