私たちの教会の特徴

百科事典から引用しますと、
<平凡社 世界大百科事典 1988年初版発行 2000年印刷から>

『バプティスト Baptist  プロテスタント最大の教派の一つ。幼児洗礼を認めず、自覚的な信仰告白にもとづき、全身を水にひたす浸礼によるバプティズムbaptism(洗礼)を主張するところからこの名称があり、浸礼派とも言う。 教会政治は各個教会の独立自治にもとづき、政教分離を主張するのが特色。 ・・・』

もう少し詳しく、私たちの立場の主だった特徴を記します。

1) 聖書の権威
私たちは聖書だけを、信仰、行動の最高の権威あるものとしています。他にどのような書物、人もなく、聖書だけが最高の標準であり、土台です。

教会の信仰箇条「聖書について」の中に、「神のことばそのもののである。従って少しのあやまりもない真理であり、人類に対する神の意志の完全で最終的な唯一の啓示である」と書かれています。

私たちは聖書の中にあるすべての奇跡を事実と信じ、その教えはクリスチャンの一致した信仰、行為の最高の基準と考えます。

私たちは聖書にのみ、信仰とすべての行為の権威を認めています。

2) 地方教会の自治
教会は、自発的にキリストの愛によって結ば
れた交わりであり、しかも他のすべての教会に対して独立しています。

教会とは、公にイエス・キリストを信じている告白のゆえに、バプテスマ(浸礼)を受けた信者たちの集まりをさします。ただ、二つの役職(牧師と執事)を認め、宣教の働き、礼拝、主の定めを守り、組織においては自治の立場をとり、福音宣教の働きのために神によって組織された集まりです。教会の最高の議決権は教会員の総会にあり、教派の本部のようなものは存在せず、全ての決定は神様の前に信者一人一人の責任によります。

教会は神様の御言(聖書)の上に、全ての問題を聖霊のお導きより解決しなければなりません。

3) 二つの主の定め 信者のバプテスマと主の晩餐

信者のバプテスマ:日本では「洗礼」と言われる儀式がバプテスマです。しかし、洗礼が意味する「洗う」と言う意味はバプテスマのギリシャ語原語にはなく、沈めると言う意味です。私たちの教会では、新約聖書で明らかにされている水の中に身体を沈める儀式としてバプテスマを行っています。

@イエス様の十字架の死と葬りと復活を象徴している、そして、同時に罪に対して死に、 新しく生きることを意味しています。

Aイエス様が受けられ、命令されたこととして、バプテスマを授けます。

Bキリストを信じた証として、信者は証としてバプテスマを受けます。
C信仰告白しバプテスマを受けた者が、私たちの教会に加わります。
主の晩餐:教会では適当な時に、主の晩餐を持ちます。これは第一コリント11章にあるように、私たちを愛して十字架につかれた主の死の記念として行います。一つのパンとぶどう酒を、教会員が食べ、飲みます。そのパンとぶどう酒にはローマ・カトリックがとるような特別な力を認めません。主のご命令として、記念として行います。

4) 政教分離の立場

私たちは、政治(国家)と教会の分離の立場をとります。

聖書の中の組織として、三つが取り上げられています。

それは、家庭(創世記2:24)、教会(マタイ16:18)、国家(使徒行伝17:26)であり、それぞれにある定められた範囲で使命を持っています。そして、互いに調和ある関係を持つことが求められます。

マタイ22:17〜21にイエス様が教えられたように、適切で分別のある行動が求められます。信者は国に対して、税金を納め(ローマ13:1〜7)、従い(テトス3:1)、上に立つ者を敬い(1ペテロ2:13〜17)祈ります。

又、国は教会の信教の自由を保証し、良心的自由を保護する責任があるでしょうし、法を犯さないかぎり、人権の尊重からも、どんな宗教であろうと特別扱いしてはいけないはずです。