こうちジョイタイムス2000年1月号

西暦2000年を如何に生きるべきか?

◇新年はリスクを抱えた社会

 元旦の新聞社説に「豊かさが生むリスク社会」と言う小見出しの、次のような記事がありました。

「豊かさが生むリスク社会」
これらが示すのは、富の分配ではなくリスクをどう分担するかという、新たな地球問題だ。ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは、近代化の成果がそのまま「負の財」となってはねかえってくる現代を「リスク社会」と名づけ、それに対応できる新しい政治の創造を呼びかけている。

 これらとは、「食料問題、エネルギー問題、森林の減少と地球温暖化(CO2増加)、オゾン層破壊と紫外線などの環境破壊、その上にダイオキシンなどの環境ホルモンの問題、公害問題、核物質関係の諸問題、将来的には遺伝子組み換え食品問題・・」のこと。

 突然降って湧いたような難問題ですが、これらは新しい世紀に負わされたリスク(危険)になっています。人類にとり大変危険な難問題です。
 リスクとは、人類に与えられた借金のようなものです。今まで私たちは富を探し求め、我先にと、多く自分に分配されることを願い行動してきました。しかし、繁栄に比例して重い負債を負う者になってしまったのです。しかも、地球規模の解決困難な問題を作ってしまいました。

◇リスクの原因

 人類が作り上げた現代の諸問題は、人の
心の奥深くにある自己中心からでたものです。拡散する民族戦争、宗教戦争、国別の貧富の差の拡大なども、愛国心、自己愛、などの自己中心が原因と言われます。 核保有国は今も核廃絶の政策をとらないし、経済問題では、各国は強固に国益のことばかりを考えています。

 これらは、私たちが「身の回り」と「いま」だけに捕われているからです。しかし、それはひとりひとりの内にある罪の性質から出ているのであり、みんなが心の奥に持っているものです。

 一度開かれたパンドラの箱へは、拡散した悪・災を詰めなおす事は出来ません。自己中心がまき散らした有害物質を一つに集め、元の無害なものにすることは出来ません。私たちは否応なく、何らかの形で負の財を受け入れざるを得ません。

◇新しい発想

 私たちは人類として、自己儀性的に行動しないと将来はないと言われます。再び新聞社説lから引用します。

その地球と人類の歩みがいま、長期にわたって持続できるか、の岐路に立っている。どうすればいいか。自己中心の発想から自由になる。隣人から地域へ、世界へ、将来世代へと、「絆」の意識を広げ、強くしていく。・・・2000年代への明るい道は、多分そこにしか開かれていない。

 新しい発想、つまり「自己中心の発想から自由になる」、「他を愛する者になる」ことを教えています。そして、そこにしか未来がないと言います。

◇愛は聖書の教え

『そのほかに、どんな戒めがあっても、結
局「自分自身を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」という言葉に帰する。愛は隣人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである 』 (聖書)

『 自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである 』(聖書)

 真に愛することほど困難な戒めはありません。愛は素晴らしく、最も高貴な戒めであるからこそ困難なのです。

 しかし、イエス・キリストは私たちを自己中心と言う罪から解放して、他を愛する正しい道を歩むことが出来る自由を下さるために十字架上で死なれました。つまり、自発的に神を愛し、隣人を愛する性質を私たちに下さるために死なれました。それは新しい心の創造です。

 誰でも、イエス・キリストを主と告白し、よみがえられた主イエス様を信じるなら、その人は新しく生まれた者となり、罪から救われ、自由が与えられるとあります。(詳しくは教会にご質問下さい)

◇2000年の意気込み

 これから世界の政治は、未来を見据えた、痛みを伴うリスクを負うものでなければならないでしょう。

 同様に、私たち自身も、罪の悔い改めがなければなりません。そして、他を愛することが出来る新しい心と、そして、愛の実践が求められています。

 なぜなら、私たち自身も、社会が自己中心の負債を負っているのと同様に愛を失って、罪の中を生きているからです。教会では、神の愛が強調され、イエス・キリストによる新しい出発を教えています。