こうちジョイタイムス2000年3月号

心の平安


 『あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえ(古くから)の道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ』 (聖書)

『あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえ(古くから)の道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ』 (聖書)

 私たちは歴史上で最も恵まれた豊かな生活をしています。でも、一方で心が満たされない若者や大人が増えてきました。その心は満足がなく、満たされない結果、やすらぎを求めてさまよっていると言われます。

 アメリカのクリントン大統領が「私はアダルト・チルドレン」と告白し、全米に衝撃を与えたニュースがありました。その原因は、幼少の時期の家庭事情により、心がいつも緊張していて、愛され、安心できる経験がなかったからと言われています。

◇心の休まる場

 人が最もくつろげるところは、昔から家庭でした。今もかわらないはずです。そこにはいつも両親の愛があります。ところが、家庭が心の安息の機能を失いつつあります。

1) アダルト・チルドレン
 クリントン大統領は、アルコール依存症の継父を持ち、子どもの頃から母親への暴力を見て、心に傷をもちながら育ったと言うのです。そして、交際の苦手な孤独感の強い人間になったと告白しています。
 親が仕事中毒、ギャンブル依存、教育ママ、長期不在などの原因で、子どもが安心
して育てなかった場合に、大人になっても生きにくさを感じるようになり、それが幼少の家庭環境によったと理解でき、納得する場合をアダルトチルドレンと言うそうです。

2) 平安のない心
 特別に、病名がなくても私たちの心は何かの束縛を感じ、イライラする心を持っています。原因は山ほどあります。両親の不和、嫌いな友だち、えらそうな先生、そして気に入らない自分。

 私自身、アダルトチルドレンとは言えないようですが、心から楽しむことが出来ず、親密な関係が苦手で、自分を批判的にいつも見て、人の為に自分を犠牲にすることを自分にしいて、自分はよい人に見られたいと思いながら、いつも他人に不平を持つような者でした。
 本当に心のバランスを失った生き方でした。心の安息がありませんでした。

3) 安息を求めて
 不安定な心を持つ者は安息を求めます。心の中には「世の中はまやかし(ごまかし)ばかりだ」と思いながらも、それでは生きられないから、やりきれないから、何かに安息を求めてさまよっているわけです。
 私の場合は聖書の教えによって、イエス・キリストの元に行きました。

◇聖書の教える安息

 聖書が教え、私が信じた神様の安息についてお伝えいたします。

・無条件の愛
 安息は愛があるところにあります。人は異性の愛を求めます。でもたいてい失敗しま
す。それは、条件付きの愛だからです。条件付きでは、私たちは不合格者になってしまいます。

『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい』 (聖書)

イエス様は『すべて』と言われ、私たちに条件を付けませんでした。

・ゆるしの愛
 それはゆるす愛です。すべての人は多かれ少なかれ罪意識を持っています。そして、ゆるされなければ心の安息を得られません。
 否定的な生き方の人は「自分を認め、許し、愛していく」ことによって癒されていきます。「あなたは悪くないよ!」と言う言葉をかけることが大切と言います。

 聖書はイエス・キリストが「あなたの罪はゆるされた」と言って下さいます。そして、わたしの罪の身代わりに十字架で死なれたことを教えて下さり、私はその言葉を信じ、罪が許されたと信じています。

・ 生き甲斐をみつける
 冒頭の聖句は、いにしえ(古い)からある道から、良い道を選びなさいと教えます。そして、その道に歩み、そこに魂の安息を得なさいと言います。神様はいにしえから人の救の道を私たちに与えられています。

 それは聖書です。その中にイエス・キリストが全ての人の救主として示されていて、その方から私たちは魂の安息を得ることが出来ます。

 人が得られないもの、それを神はいにしえより既に用意され、誰でも神の安息を見い出すことが出来るようにされているのです。