こうちジョイタイムス2000年8月号 | ||
老い よっちょれよ よっちょれよ・・・ 高知の城下へ 来てみいや じんまも ばんばも よう踊る〜 鳴子両手に よう踊る〜 (よさこい鳴子おどり から) 土佐の高知は、踊りの好きななお年寄りが昔からいたのでしょう。これから長寿社会、高知はその模範県になれるでしょうか? わたしも あなたも じんま と ばんば! あるお坊さんの有名な言葉、「子供しかるな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ」 年寄りの失敗を「笑うな、行く道」と我が身になって考えよ、とさとしています。自分の立場に置き換えて、おばあちゃん、おじいちゃんを大切にする良い言葉です。誰も、未来はじんまとばんばになります。 年をとって起こること しかし、介護が必要な老人問題は深刻なようです。もの忘れから始まり、健忘症、ねたきり・・・。体力の減退により、生活力がなくなります。力がなくなり、若者のようには働けません。国の財政も当てに出来ません。暮らしにくい社会 その上、「よさこい」が若者向けになり、「じん |
まもばんば」も踊れなくなったように、世の中は若者中心に回り、インターネットや携帯電話は若者専用です。 年を取ると暮らしにくい、これが現実ではないですか?高齢化に向けた国の政策が、どれほどの効果があるのでしょうか? 老人力! ところで去年、「老人力」と言う言葉が流行しました。それについて、ニュースキャスターの筑紫哲也さんがこう言っています。(抜粋)「普通、年を追いますと、物忘れがひどくなる、いわゆる「もうろく」と呼ばれるものがある。ボケると。そういうようなことを、実は「老人力がついた」と「力がついた」という言い方で置き換えよう、というのがまあ、赤瀬川さんの趣旨であります」 これは年をとった本人が、老いの現象を肯定的に理解し、自分にその長所を言い聞かせる。私たちは理解の仕方や気持ちのもちようで、随分楽になります。 しかし、この言葉が既に忘れられつつあるように、問題解決には遠く、継続的な自己啓発が必要でしょうし、まわりの人たちの暖かい思いやりこそが大切です。 お年寄りを敬う 開発途上の国々やある時代では、お年寄りは大変尊敬され、大切に扱われてきました。そこには、お年寄りにこそあって、若い者には無いものが認められ、敬う教育がなされてきました。生きて来た年数や経験、経験の中でえた知恵や業が尊重されたからです。お年寄りが敬われている社会こそ、人間の尊厳が認められている社会です。 |
聖書に見る老人の力 高知にも、高齢になられて尊敬されておられる方もいますが、聖書の中で、神様に用いられた指導者は、年をとってから活動を始めた信仰者でした。アブラハムは75才で神様の約束を信じ、行く先を知らないで旅を始め、信仰の父と呼ばれるようになりました。 又、モーセも80才で有名な話エジプトからイスラエルの民を救い出しました。 じんまになって彼らが歴史的な事業を成し遂げることが出来たのは、年令に関係のない彼らの信仰のゆえであり、経験から得た謙遜からでした。 『若い人の栄えはその力、老人の美しさはそのしらがである 。・・しらがは栄えの冠である。正しく生きることによってそれが得られる』 (聖書) 若者にはなくて、高齢者にだけある素晴らしい冠は何でしょうか? それは、若者よりも長く、正しく生きよとした冠ではないでしょうか。若い時の、正義感、誠実さ、勇気を年老いて持ち続けようとする心こそ、老人力に相応しいものでしょう。 聖書の中の信仰の偉人は、自分の弱さを知り、神様を信じる信仰によって、正しく歩みつづけようとし、歩み通した人たちでした。 ※もう一つ、老いに関する聖書が教える最も大事な話は、死の問題です。あなたは、もうすでに解決されているでしょうか? |