こうちジョイタイムス2000年11月号

コンプレックス

 「あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい。光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである」 (聖書)

欠点が気になりませんか

 童話に鹿の角と細い足の話があります。鹿は自分の立派な角を自慢に思っていました。ところが、彼は細い足が気に入りませんでした。ある時、彼は狼に追われました。彼の細い足は木々の間を敏しょうに飛び跳ね、逃げることが出来ました。ところが、逃げおおせたと思った時、彼の立派な角が薮のつたにからまり動けなくなった話です。

 私たちの身体の中に、自分では嫌いと思っていた所が、幸いにも長所である事に気付くことが多々あります。そうではなく、一生の間、劣等感になる場合もあります。それは不幸な事です。聖書が私たちに教えている二つの教えを覚えて下さい。

ユニーク(独特)な存在

 全ての人の指先の指紋が違うように、世界中に身体的特徴の同じ人はいません。しかも、心は皆違い、それぞれが個性がある存在です。神の前に私たちは次のように言われるのです。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」 (聖書)

 私たちは世界に唯一の存在です。そして、お互いが比較しあうように造られてはいないのです。
 聖書を神の言葉と信じ、イエス・キリストを信じる時、私たちは初めて、自分の存在を御言葉のように尊いものと受け入れる事が出来ます。

コンプレックスは賜物

 ほとんどの人はコンプレックスがあると言います。それは誰も欠点と思うところがあるからです。しかし、聖書は神様が必要を持って傷を与えてくれたものと教えます。有名な使徒パウロの言葉です。

「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。」 (聖書)

 障害をもたれているクリスチャン画家星野富弘さんの次の詩があります。
「私は傷を持っている。でも、その傷のところから、あなたの優しさがしみてくる」

 シドニーのパラリンピックを見ていて、表彰された選手の言葉に感動を覚えました。謙遜で、優しい言葉で答をされていて、身近な人として感じられました。彼らに、心の優しさを感じるのです。それは賜物ではないでしょうか!

聖書の教え

 聖書は世的な価値観を否定し、真っ向から違った価値観を教えています。

「金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい」 (聖書)

「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である」 (聖書)
 神様はこう教えます。最も価値があるのは、心の有り様です。人は外面を飾るよりも、内面を着飾るべきです。

「わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」 (聖書)

私たち自身、外面より内面を大切にしてもらいたいと思ってませんか?

祝福

 そして、神様の価値観を持てるなら、違った世界が見えてきます。
 神の価値観は、心に安らぎが与え、見た目を気にすることは些細なことと教えます。
 人が自分を正しく愛するようになれば、他の人をも同じような優しい目で見ることができ、人間関係も良好になります。
 イエス・キリストは私たちの光として、地上に来られました。

「わたしは世の光である」 (聖書)

 幼少期に、愛されなかった人は、大人になって人間関係がうまく行かないと言われます。しかし、永遠の愛をもって、神様は私たちを愛して下さっています。
 神様はあなたの状態や行為によらないで、無条件で受け入れようとされています。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、・・救われます」 (聖書)

 人は信仰により救われ、この世の価値観ではなく、神様の価値観に目を開かれ、明るい生活が出来るようにされるのです。