こうちジョイタイムス2000年12月号

クリスマス


 『恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである』 (聖書 )

変化に富む21世紀へ
(世紀末のクリスマス)

 昨年の暮れには「ミレニアム(millenium)」と言う言葉が流行りましたが、今はあまり聞きません。そして、この暮れは世紀末と新世紀が話題です。

 確かに環境問題、巨大地震対策、遺伝子操作、IT革命と言われる重要難問題、課題があり、時代の変換点であります。
 これからの科学、環境変化は社会に更に大きな影響をあたえるはずです。この新しい波によって、様々なギャップが生まれ、社会全体が衝撃を受ける時代と思われます。

 聖書の預言に注目するなら、さばくために来られるキリストの再臨が強く意識される時代です。

「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。
 すべての人の目、ことに、彼を刺しとおし
た者たちは、
彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸打って嘆くであろう」 (聖書)

人類の歴史上、最も注目される世紀を間近にしたクリスマスです。

きよしこの夜

 どのクリスマスソングにも二つの感情が入り交じっています。一つは喜びです。
 ある夜、羊の番をしていた貧しい羊飼たちが飼い葉桶に寝かされている神の御子を見た時、また、遠い東の国から来た博士たちが、飼い葉桶の赤ん坊の王を見た時、彼らは救主が生れられたと喜びました。
 もう一つが、聖さです。このイメージの代表作が「きよしこの夜」(サイレントナイト ホーリーナイト)です。クリスマスは私たちに聖い時間と空間を感じさせてくれます。

クリスマスの喜び

 クリスマスには普段よりは大勢の方々が教会に来られます。きっと、喜びを求めて来られると思うのです。聖書は救主の誕生を、「彼らの目を開き、彼らをやみから光 へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ」るためとあります。 (聖書)

 イエス・キリストの元には喜びがあります。人生の中で苦しみを味わい、喜びを見いだせない者に、救主としてキリストは来られました。

 私たちは労働の結果として報いをえる時、喜びを味わいます。しかし、労の報いはそれが終点であり、その喜びはそこで完成します。そして、新しいチャレンジをしないと次の喜びは見いだせません。しかも成功するとも限らないのです。

 救主の喜びは、それをえた者に永遠の喜びとなります。それは自分の働きの報いではなく、神様からの贈り物だからです。
イエス・キリストの言葉

「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」 (聖書)

御子の聖さ

 イエス・キリストは病人や罪人と言われていた弱い人たちと共におりました。そして、彼らに神様の救の話をされました。彼には聖さがありました。
 私たちの心や目は欲望に支配されていますが、彼は全く違った心と目を持っておられました。民衆がイエス・キリストを十字架につけた時、イエス様は言われました。

「父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのか、わからないのです」 (聖書)

 キリストはその十字架の死によって、人々の救いの道を開かれました。クリスマス、それは聖さと喜びに溢れた救主イエス・キリストの誕生をお祝いする日です。