こうちジョイタイムス2001年4月号 No26

聖書が教えるあなたの幸福

 「悪しきわざに対する判決がすみやかに行われないために、人の子らの心はもっぱら悪を行うことに傾いてる。罪人で百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている。しかし悪人には幸福がない」 (聖書)伝道の書 8:11〜13

幸福とは?

 私たちは幸福を求めているだろうか? 幸福を言うよりは、別のものを求めているように思う。例えば、お金、名誉、人の注目、快楽などを求めているが、これが幸福とは言えない。会社の昇進であり、異性にもてることであり、自分に快感をあたえてくれるものである。でも、幸福に近づいているようには思えない。幸福の本質は、心の満足であり、幸せに思うことであり、それが続くことであると考えたい。一瞬の快楽や一時期の喜びを幸福とは呼べないように思う。

持ち物の幸福

 一昔前、働きバチと呼ばれた日本人は、良い持ち物、良い地位、安定した経済こそが幸福の源だと考えていた。今も、お金の力を知った貧しい国の人たちはそう考えがちであると思う。しかし、裕福になった結果、今はどう考えているだろう。昔を懐かしがる人が多くなっている。この教訓は、決して物が豊かになることが幸福ではないことである。大人に反発する若者も結局は同じような道を歩もうとしている。違った道のように見えても、簡単に目先の欲しいものを貪るように生きている。

悪に傾く心

「悪しきわざに対する判決がすみやかに行われないために、人の子らの心はもっぱら悪を行うことに傾いてる」

 現在の憂うべきことは、人の心の荒廃です。大人、若者を問わず正義感が失せ、悪に傾いている。そのことをみんな感じ取っている。人の心を思いやることが出来なくなり、暴力、売春、いじめなどに罪の意識がなくなっている。社会の大多数が正義を求めていない、自分の幸福のために、物を貪欲にむさぼっている現実が目につき過ぎるのです。今、私たちが幸福を考える時、利己的というのではなく、
個人としてどうするか考えるべきでしょう。一人が幸福を感じる時、周りへの良い影響を期待するのです。

真の幸福とは?

「けれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている」

 幸福とは、その人の価値観と、心の大問題と言えるでしょう。イエス・キリストを信じる私たちも、裕福でなくても、信仰のゆえに幸福であることを感じ知っています。真の幸福とは、変らないものに満たされることです。
 聖書は、神の愛を教えています。無条件に受け入れて下さる神の愛です。

「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった」 (聖書)

 神の愛は目に見えないものですが永遠につづくものです。

「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは 永遠につづくのである」 ( 聖書 )

 神の愛は真実です。そして、その愛により私たちは真の幸福を与えられるのです。

「聖書は、『すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない』と言っている」 ( 聖書 )

ちょっといい話 「雨ニモマケズ」のモデル

 1887年、斉藤宗治郎は岩手県花巻市の禅宗の寺の3男として生まれました。彼は小学校の先生とな、一時、国粋主義に傾くのですが、やがてふとした切っ掛けで内村鑑三の著書に出会い、聖書を読むようになりました。1900年、彼は信仰告白をし、洗礼(バプテスマ)を受けて、花巻の地で第一号のクリスチャンになりました。

 斉藤宗治郎が洗礼を受けたのは12月の朝6時、雪の降り積もった寒い朝、豊沢川においてでした。珍しいことだと、橋の上には大勢の人が見物にやって来ました。しかし、これはキリスト教がまだ「耶蘇教」「国賊」などと呼ばれて、人々から激しい迫害を受けている時代のことです。洗礼を受けたその日から、彼に対する迫害が強くなりました。親から勘当され、以後、生家に一歩たりとも入ることを禁じられてしまったのです。町を歩いていると「ヤソ、ヤソ」とあざけられ、何度も石を投げられました。それでも彼は神を信じた喜びにあふれて、信仰を貫いていました。

 しかし、いわれない中傷が相次ぎ、ついに彼は小学校の教師の職を辞めなければならなはめになってしまいました。また迫害は彼だけにとどまらず、家族にまで及んでいきました。長女の愛子ちゃんはある日、国粋主義思想が高まる中、ヤソの子どもと言われて腹を蹴られ、腹膜炎を起してしまいます。何日か後、彼女はわずか9才で天国に帰って行きました。

 彼はその後、新聞配達をして生計をたてるようになります。朝3時に起き、汽車が着くたびに何度も駅に新聞を取りに行き、配達をすると言う生活でした。重労働のなか、彼は肺結核をわずらってしまい、幾度か喀血しました。それでも毎朝3時に起き、夜9時まで働くという生活を続けました。その後の時間は聖書を読み、祈る時を持ちました。不思議なことに、このような激しい生活が20年も続きましたが、体は支えられました。

 朝の仕事が終る頃、雪が積もると彼は小学校への通路の雪かきをして道をつけました。小さい子どもを見ると、だっこして校門まで走ります。彼は雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく、地域の人々のために働き続けました。自分の子どもを蹴ってしなせた子どもたちのために。新聞配達の帰りには、病人を見舞い、励まし、慰めました。

 やがて1926年、住み慣れたその故郷を離れ、彼が東京に移る日がやって来ました。花巻の地を離れるその日、「だれも見送りに来てくれないだろう」と思って彼は駅に着きました。ところが、そこには町長をはじめ、町の有力者の人々、学校の教師、またたくさんの生徒たちが見送りに来てくれているではありませんか。神社の神主もいました。仏教の僧侶もいました。さらに他の一般の人たちも来て、町中の人々が彼を見送りに来てくれたのです。斉藤宗治郎がふだんからしてくれていたことを、彼らは見ていたのです。彼らは感謝を表しに来ていました。身動きできないほど多くの人々が集まったのです。

 その中の一人に、宮沢賢治がいました。宮沢賢治は、有名な法華経信者です。その彼もそこに来てくれていました。そして斉藤宗治郎が東京に着いてのち、彼に最初に手紙をくれたのは宮沢賢治でした。

 宮沢賢治はその5年後、有名な「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の詩をつくりました。この詩は、最後に「ソウイウ者ニ私ハナリタイ」と言う言葉で締めくくられています。この詩のモデルになった人物が、斉藤宗治郎だったのです。(レムナント1999年8月号より)

懸賞付きクイズ

問い 次の野菜や果物にはどれくらいの種が入っているでしょう。A〜Dの中から選んでください。

1. イチゴ 2. シイタケ 3. タケノコ 4. エダマメ 5. トマト 6. メロン 7. クリ

A. 10個以上 B. 2〜9個 C. 1個 D. ひとつもない

(応募方法) 問いの答え・氏名・年齢・ホームページの感想を書いてこちらまでご応募ください。正解者5名様に図書券をお送りします。(締め切り 4月30日)