こうちジョイタイムス2001年9月号 No29

歌いつつ歩まん

突然の出来事

 9/11のアメリカでのテロ事件は、私たちの心を暗くしました。何も知らない旅客機の乗客、ビルの中に残された人々、消火の為にビルの中に入った数百人の消防士、警備をしていた警察官・・・大勢の方々がテロにより、炎や煙、崩壊の為に命を落としました。多くの人の無念さが、何も出来ない私たちの心を暗くしました。
 また、私たちの日々の生活にも悲しい出来事はあります。受験の失敗、失恋、家族の喪失など・・・特に何かがあったわけではないのに、心がふさぐことも多々あります。

上を向いて

 私たちが悲しい時、うつむくより上を向き空を見上げる方がよいように思います。不機嫌な顔、悲しい顔、ふさぎ込んだ顔をみんなに見られるかもしれないけれど、空を見上げ好きな歌を口ずさみながら歩くと、心が少し軽くなります。
聖書の言葉がある。

「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る」 (聖書)

 うつむきぎみの顔を上げて、上を向くなら、青い空が見え、その広大さの故に、透明な光がさし、何かを信じれるようになるかもしれないのです。希望が見えるかもしれない。もっと高いものを見る。確かに心は軽くなる。

歌をうたい歩こう

 そして、気落ちしている時こそ、少し身体を動かすほうが良いように思うのです。うつむき、うずくまっているよりは、空を見ながら、口笛をふきながら、歌を歌いながら、ぶらぶら歩くなら心が晴れる。
 大空は勇気をくれて、歌は優しく励ましてくれる。身体もその調子にあわせて歩をすすめるなら気が楽になる。少しでも励まされれば、素晴らしい。

でも・・・と言われる方に、経験から、もう一つの話を追加します。

神を見上げる

 聖書は「わが助けは、天と地を造られた主から来る」と言っています。
 私がイエス・キリストを信じた時、やはり寂しさがあり悲しみの中にいた時でした。ひとりぼっち(孤独)でした。でも、聖書が語るイエス・キリストを信じた時、明るい道、驚くほどの救の道があることを知りました。「目からうろこが落ちる」 (聖書)ようです。
 実際に信仰を経験すると、世界中で大勢の方がイエス・キリストを信じている理由、信仰の素晴らしさが分かりました。

 それからは、私は顔を上げ、歌を神に向かって歌いはじめました。
「主は豊かにわたしをあしらわれたゆえ、わたしは主にむかって歌います」 (聖書)

 私たちは普通、神を遠くの方のように感じますが、神は誰よりも私たちの近くにおられる方と今信じています。
「神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」 (聖書)

 また、神は私たちに無関心、無関係な方ではなく、私たち以上に熱いまなざしで私たちを見ておられる方だと言うこと。
「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」 (聖書)

 今も歩きながら、空を見上げて、歌を口ずさむことはあります。でも、今はイエス・キリストを見上げ、彼に向かって、賛美をささげています。
 キリストが十字架で死なれたのは、私たちを愛しておられたからでした。

懸賞付きクイズ

下の文は日本国憲法の前文一部を書き直したものです。これを読んで下の問いに答えて下さい。

「そもそも国の政治は、国民の厳粛な信頼によってまかされているもので、その権威のもとは国民にあり、国民の代表によって進められ、そこから得られる幸福と利益は国民が受けられるものです」

問い:文の内容にあっているものを、下から選び記号で答えよ。

ア)最大多数の人々の、最大幸福を実現する。
イ)人間は生まれながらに自由・平等である。
ウ)自分の自由を主張する者も、他人の自由をおかす自由を持っていない。
エ)人民の、人民による、人民の為の政治。

(応募方法) 問いの答え・氏名・年齢・ホームページの感想を書いてこちらまでご応募ください。正解者5名様に図書券をお送りします。〆切は10/7までとします。(特別伝道集会のため)