こうちジョイタイムス2001年10月号 No30 | |||
二度の大震災 1995年1月17日、私は神戸にいた。寮のベッドの上、5時半頃目を覚ましたが、そのまま布団にくるまっていた。5時46分、いきなり『ど〜ん』と下から突き上げるような響きと共に、大きな揺れを感じた。初めは縦揺れで、家具がどんどん倒れていく。次に横揺れ。すさまじかった。自分で自分の体さえどうすることも出来ず、ただベッドに頭を何回も叩きつけられていた。一体何が起こったかわからない。同室の友が『地震だ!!』と叫んだ。私の住んでいた寮はとても古く、もう助からないと覚悟した。『私はこれで死ぬのだ。』そう思い、心の準備をした。とても長く揺れているように感じた。ようやく、揺れがおさまったとき、私は自分がまだ生きている事に気づいた。すぐにベッドから飛び降りて、真っ暗な中コートと貴重品を探し当て、外に飛び出した。
目に映ったものは、いつもと全く違う光景。地面が割れて、そこから水が吹き出し、塀は倒れている。斜めに傾いている家もあれば、壁が剥げ落ちている家もある。一体これは夢なのだろうか?しだいに空が明るくなり、その地震の光景がもっと鮮明に視覚で判るようになって来た。夕方になって電気が戻るとメディアを通して、各地の地震の被害を更に知る事となった。『夢かもしれない』『夢であって欲しい』『夢ではなく現実に起こったことなのだ』…。現実を受け止められなかった私の心も、時間の経過と共に、受け止めなければ前に進めないと言う事がわかってきた。 たった20秒の地震で、戦後から這い上がりこつこつと築いて来た人間の努力の結晶が、もろくも崩れ去ってしまった。一体、私たちは何のために生きているのだろう。余震がくるたびに襲ってくる恐怖心、いつまでこの恐れは続くのか。この恐れは消えるのだろうか。この先どうなるのだろうか。色々な不安が心の中を渦巻き、時間は過ぎていった。 結局、私たちの住んでいた寮は半壊と言う判定を受けて、新しく建て直す事となった。やがて余震も少なくなり、復興が進むに連れて、心はだんだんと落ち着いてきた。 1999年9月21日。私たち夫婦が台湾に来てちょうど一年が経っていた。午前1時46分、また『どーん』と言う音と共に、大地震が襲ってきた。揺れと共に、次々とガラスが割れ、家の中の家具は倒れ、外は人々のパニックになった声で何とも言えない状況であった。私はこの日ちょうど3ヶ月になった息子を腕の中に、妻と外へ出たものの、行くあてもなく、けたたましいサイレンを鳴らして通りすぎる何台ものパトカーを目の前に、道端で夜が明けるのを待った。住んでいたマンションの1階は押し潰されて、建物はピサの斜塔のように傾いてしまっていた。 住む場所がなくなったため、家内と子供はしばらくの間日本に戻り、私は友人の家に一人で住む事になった。 その時まで、自分は神戸大地震を経験しているので、今回はそれほど精神的ショックはないと思っていた。しかし、一人なってみて初めて、自分は前回と同じように恐怖心を持っていたことがわかった。家族や友人といたときはそれを紛らわす事ができていたし、気付かずにいた。ところが一人になってみると、昼間は何ともないのに、夕方になって日が沈むころになると、何とも言えない恐怖感が襲ってくる。家の全ての電気をつけ、テレビ、ラジオ、カセットと音の出るものも全てをつけて、恐れを紛らわせようとした。寝るときも電気をつけていないと寝られない。ちょっとした物音にもすぐに目が醒め、余震が来るたびにまた大地震が来るのではないかと恐れを持つ。 |
思えば思うほど、恐怖心をあおられる。少しでもその気持ちが落ち着くようにと、賛美歌を歌ったり、祈ったり、聖書を読む時間を増やした。ある時、賛美をしようとした時にこのような歌詞を見つけた。 「厘嗤扮佚伉音釈協 心音需磯泣高苧 厘祥訟朕剿李勳釦 裏蕗柵箔麼哈糟 音勣殿厘嘸低揖壓 駅哈擬低音宣蝕 音勣上殿鏑摸髄襖 韮厘返勣佚真厘」(青い青年聖歌162*中国語聖歌 ) この賛美を歌ったとき、私は孤独ではなく、一緒にいて下さる主が助け導いてくださると言う事が改めてわかり、その瞬間から、恐れが平安に、嘆きの祈りが喜びの賛美に変わっていた。そして、心の内から拭い去れなかった恐怖心から解放された。 確かに私たち人間は生きている間、あらゆる出来事に遭遇する。全てが順境ではない。試練と呼ばれるような事にも失望するような事にも必ず遭遇する。聖書にこのような個所がある。 「恐れるな。私はあなたと共にいる。たじろぐな。私はあなたの神だから。私はあなたを強め、あなたを助け、私の義の右の手で、あなたを守る。」 (聖書 ) 私の信じている神は私を救い、私を神の子として下さり、この世においてどのような困難の中にあっても、共にいて助け、導いて下さる。 人間にとって安心感を持つ事は大切なことです。子供が親といる時に持つ安心感、親から離れると自然に恐怖心を持って泣き出す。これは自然なことです。私たち大人もこの安心感を持つ事によって、安らかで、幸せを感じたりする。しかし、多くの人は普遍的な安心感を物質に求めるようになった。ある人はお金がある事によって安心感を持っている。ある人は家族に、ある人は恋人に、ある人は地位に、ある人は学歴に安心感を得ようとしている。しかし、それらのものはいつなくなるのか、いつ裏切るかはわからない。実に神戸の地震も台湾の地震も、たったの20秒ほどで人間が拠り頼んでいた物質全てを奪い去ってしまった。 私たちが本当に継続的に且つ揺るがない安心感を持つ事が出来るのは、物質によってではなく、この世界を創造され、この世を支配しておられる神を信じ、神の愛を知り、神と共に歩む事による。この神こそ、2000年前に人となって私たちの罪の身代わりに、十字架にかかり死んでくださったイエス・キリストなのです。 「神は実にひとり子をお与えになったほどに世を愛された。 それは御子を信じるものが一人として滅びず、永遠の命を持つためである。」 (聖書) 二つの大きな地震を経験して私が言える事は、私たちは物質を得るために生きているのではないと言う事である。だから物質はなくなったとしても、また一から始めて行ける。その力はキリストが下さる。どんな苦しい事があっても立ち上がる事が出来る。神が共にいて導いて下さるから。どんな事があっても希望を持って進む事が出来る。死が終わりではない。キリストを信じた者は必ず天国に行ける約束があるからです。
備えの時 死に直面した時、私たちはどのような心境になるのだろう?そのようなことを考えさせられる事件が多い。ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が突っ込んだ事件で、窓にしがみついている人々の姿が写し出された。その人々の恐怖は・・・ また、世界各地でテロに対する恐怖が高まっている。近未来には生物兵器や、都市での核爆発などの恐ろしいテロが心配されている。 今回の多発テロは、手段の凄惨さにおいて人々の常識や想像を完全に超越した事件であった。 |
アフガニスタンに対する米英の武力攻撃が始まった。アフガンの人々はどれほどの恐怖を感じていることだろう。特に、子供や女性は不安になっているにちがいない。 身近な災害 最近、南海大地震の詳しい報道があった。この10年、20年、30年、40年の内に起る確率が発表された。10〜40%などと表現されているが、それは必ず起ると言うことを私たちに教えている。 その時には、阪神大震災のような被害が起り、私たちは大きな犠牲を経験するかもしれないのです。
大切な家屋にひびがはいり、壊れ、人は大怪我をする、家族に死者が出る。心のショックは大きく、家庭の経済は窮地に立つ。これらは十分に考えられることなのです。
明日の不安 明日のことを考えると不安を覚えて当然です。聖書は「人の真の姿」について、次のように注意している。「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない」(聖書)
また、やけになることも戒めている。確かに、私たちは明日のことを知らず、また、命に限りがあるものです。 安心して生きる でも、聖書は恐れて生きるようには教えていません。「あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」 (聖書) 確かに、人が思い悩み、考え込んでも何も変わりはしない。悩みのストレスで体調を壊してしまいます。 「「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ」。まちがってはいけない。「悪い交わりは、良いならわしをそこなう」。目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい」(聖書) 備え 備えの出来ない事件もありますが、備えができるものも多いのです。問題は、備えを怠ることでしょう。南海地震であるなら、家の補強、物の落下防止、大切なものの管理、避難場所の確保などがあります。「備えあれば、憂いなし」と言います。聖書の備え 聖書が教える最高の備えがあります。それはイエス・キリストを信じ、神の前に罪をゆるされ、永遠の命を受けることです。それこそが、不安を消し、信仰によって生きる完全なる備えなのです。あなたはお持ちですか?秋の特別伝道集会
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