こうちジョイタイムス年2002月3号 No33


人生の勝利者となるために

勝利者とは何か?

 それは過ぎ去った人生を振り返って「良かった!」と言える人ではないでしょうか。では、そのようになるにはどうしたら良いか? 一つの結論として、私たちが試練にどう対処するか?によって決まると考えます。試練を肥やしにしている人は勝利者となり、試練に打ち負かされる人が敗者となる。

1. 試練の大切さ

「われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆことは速く、われらは滅び去るのです」 (聖書)

 誰も望んで受ける試練はないでしょう。しかし、試練の多いことは聖書が教えています。すべての人に試練は必ずある、しかも何度もあるから、対処法は重要なのです。 また、聖書は試練が人に益となることを教えています。

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」 (聖書)
2. 植物のたとえ
 エンドウ豆は初冬の11月頃、寒さが厳しくなる時に種を蒔きます。寒い最中に芽を出し、ゆっくりと成長します。そして、寒い冬を越して、暖かくなりはじめる今頃、グングンと成長し、花を付けます。エンドウにとって、冬は根を張る大切な時期です。寒い日がつづき、氷点下になっても、冬の光を受け、根をゆっくりと確実に成長させる時なのです。冬の間、日光がどれほど照らすかによって、春の成長の度合いが決まるのです。

 人の試練の時も同じではないでしょうか。身にこたえる試練も、心の根を張るためりにあり、次の成長のための準備だと考えられるのです。

3. 苦しみ、悲しみの恵み
 1) 自分を反省する時
 試練の時、苦しみの時、なんの良いことがあるでしょうか? 普段は考えることのない、罪への悔い改めに人間を導くように思います。自分の生き方を反省し、罪から離れ、正しい生き方を模索します。新しい生き方をする決心が出来ます。人は失敗したことではなく、失敗して後にどう生きるか、どう新しい生き方が出来るかで評価されるべきです。
 2) 試練の中に希望を持ちます

「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを、知っているからである」 (聖書)

 試練は希望を失わせるものではなく、真の希望を生み出させるものだと
聖書は教えます。聖書流に考えるなら、つまり信仰を持って試練に対処するなら、忍耐を教えられ、忍耐は人に練達(人格の成長)を生み出し、ついには希望につながるのです。この一連の成長こそが、実は人を真に高める、平安な生き方を教えます。聖書は、「試練には信仰の光によって、正しくまっすぐ立ち向かえ!」と教えます。

4. 信仰による勝利者
 試練を乗り越えてきた人は、落ち着いた心があります。同じ試練には動じない、人にもやさしい心が芽生えてきます。

 ところで、もし試練の時に信仰の光がなかったならどうなるでしょうか。冬に日光に照らされなかったエンドウは、根も十分にはれず、茎も成長せず、実をならすことのない草のようになってしまいます。不幸と言われるものに落胆させられ、悩みに心を傷つけられ、絶望の深みに入る人は多いのです。また、過った人生訓を学ぶこともあるでしょう。

信仰の言葉は教えます。

「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえ わたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう」 (聖書)

人生の勝利者とは、 試練に耐え、試練から学び、試練を通して成長する人ではないでしょうか。