こうちジョイタイムス2002年5月号 No35

えがお

 「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている」 (口語訳聖書)

えがお

 広場で学生のよさこい隊の踊りを見た。「踊るあほうに見るあほう、同じあほなら踊らなそん!そん!」と徳島の阿波踊りで言われた言葉を思いだしました。『よさいこい』も、どうせ見るなら、踊らな損!損!かもしれません。
 確かに、踊る若者の顔は生き生きとして、明るく、楽しそうだった。見ていて疲れる笑顔もあるが、疲れない笑顔は本心からの喜びの溢れた笑顔と言えるだろう。明るい太陽の光の中で、みんなの前で踊るのは健康的に見える。本人が一番楽しいだろうし、見ている者も明るい気分になる。

えがおの良さ

 町の通りですれ違う人たちの中に、笑顔の人、笑顔のない人を見かける。笑顔の人は随分得をしていると思ってしまう。笑顔はもって生まれたものではなく、後天的に手に入れるものだと思う。持てるもので、もっとも高価なものの一つに違いない。笑顔を手に入れたいですね。
1) 笑顔は人を美しくする  
笑顔は顔の造りに関係なく、人を美しくする。反対に、顔の造りは申し分ないのに、暗い表情の人は、本来の美しさを現していないように見える。女性はお化粧や服装に一生懸命だが、笑顔のできる生き方をした方が得策だと思う。

2) 健康のため  
明るい笑顔は健康に大変貢献していると言う。笑いは免疫機能を高め、病気になりにくくなる。お腹も空いて食事が楽しくなり、ストレスから解放される。健康的な人に、素敵な笑顔の方が多いように感じています。

3) 周りのため  
笑顔は周りの人の心を明るくする。笑顔を見ると励まされ、元気がでる。反対に、無表情な人、暗い表情の人と一緒にいると、なぜか疲れを感じる。励まそうと努力するからか? 笑顔は人に元気を与えます。

えがおの源

 笑顔の源はどこにあるだろうか? それは心から溢れる喜びではないかと思う。「よさこい」を踊る人の心に、踊る喜びがあって、自然に笑顔になる。踊って、

 みんなと一つになれる喜び。
 自己表現ができる喜び。
 からだの調子が良い喜び。
 人に見てもらえる喜び。

そして、この喜びが自然と笑顔になる。 ところが、感情は一時的なもの。その時、心は喜びに満たされても、
一人の時に空しさを覚える人は多いです。感情の喜び、笑顔も決してその人の生涯の喜びを保証しません。

「笑う時にも心に悲しみがあり、喜びのはてに憂いがある」 (聖書)

真のよろこびの源

 真の笑顔は、安心のあるところにあります。心から喜んでおられるのは、うつろわない喜びの源なる救を得ているからです。聖書は、信仰から来る救と教えています。

「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」 (聖書) 「聖書は、

『すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない』と言っている」 (聖書)

 救を受けている者は、真心から喜ぶことができます。罪のゆるしにより心は晴れ、死を恐れることがなくなり、永遠の命の希望を持っています。

「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている」 (聖書)

救が「言葉につくせない、輝きにみちた喜び」を与えてくれるから、笑顔になれるのです。あなたも体験されませんか?