こうちジョイタイムス2002年11月号 No37

救いのお話し

救いとはどういう意味だろうか?

 広辞苑には「希望や明るさを感じさせて気持ちをほっとさせることがら」という説明があった。この説明が分かりやすいですね。人は色々な悩みがあり、具体的には経済、健康、人間関係、境遇など、様々な問題を抱えて悩み苦しむことがあります。そして、人は、「救い」とはその問題が解決されることと考えます。一つの問題が解決すると、悩みは消えてなくなりホッとして、平安が心に来ると期待します。
 結論は、私たちの心がホッとすれば、それが救われたと言うことになるのでしょうね。

救われることの困難

 ところが、問題のない生活、悩みのない生活は無いと思われませんか?

 経験を積めば積むほど、人生は問題がなくなるのではなく、対処の仕方を学ぶことと理解されると思うのです。
でも、人は心の対処の仕方よりも、目に見える解決ばかりを求めます。しかし、今後の社会には人から平安を奪う障害が山のように積まれています。

1) 犯罪の増加
 警察府によると、犯罪は増加傾向のあるとの言うことです。平成13年 警察庁 犯罪白書よると犯罪件数5年間で1.5倍に増加し、検挙率は低下しているそうです。
2) 不景気
 今年の中学、高校卒業生の就職は大変厳しいものでした。失業率も高いままです。
3) 子供たち
 未来の主人公である、子供たちの生活環境の悪化しています。
4) 自然環境の不安定
 様々な自然環境に関する不安定要素の増加は続くでしょう。

聖書の救い

 人は常に現実の問題解決ばかりを救いととらえています。だから、周りにある問題が解決しないと救いはありません。更に、一つが解決しても他の問題が出てくるのが世の常です。そのような生き方は

「空の空、空の空、いっさいは空である」(聖書)

と聖書の預言者は語っています。
 聖書はその人の心が新しくされることを第一とする救いを語ります。
 その救いの道は、各個人と神との関係であり、悩みの根源(罪)を自分の内に認め、神との関係を回復し、神の救いを得ることです。

1) 自分の心の問題点を認める
 自分の問題点を、聖書では「罪」と呼びますが、まずそれを認めることです。私たちが街頭で伝道チラシを配付していた時、ある方が「キリスト教は自分を罪人だと言って何が嬉しいのか?」と言われました。自分の罪を認めるのは、その時は嬉しいからではなく、それは事実であり、神様のみ前に出る為に必要なことだからです。

2) 信仰
 そして、自分の救のために、イエス・キリストを信じます。
神の御子イエス・キリストは、私たちの罪をゆるし救う為に身代わりに十字架で死なれました。そして、永遠の命を下さり、心の完全なる救を下さったのです。

次の式の答えを求めなさい。

1) (X-a)(X-b)(X-c)・・・(X-z)= ?
2) 二人の男がチェスをしていました。彼らは5回勝負して、2人とも同じ回数勝ったと言います。引き分けがなかったとすると、どうしてこんなことが可能なのでしょうか。


P.S.今日、このホームページを見て、集会に集いたいと言う方がメールを下さいました。感謝。