こうちジョイタイムス2003年10月号 No41

いのちの約束

神の御旨により、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって立てられたキリスト・イエスの使徒パウロから、
(聖書テモテ第2の手紙1章1節)

死の恐れ

 私の父はこの夏、地上の命を終えました。それは私たち家族に突然の驚きと恐れの出来事で、いつかは死があることは分っていても、それでも生きて続けるように感じていました。
 しかし、突然に死は父を地上から奪い去り、本人の生きたいと言う意思にかかわらず、家族の願いを奪い去って、あっと言う間の出来事でした。

 悲しいことですが、生きる物には必ず死があります。災害や事故、病気などの不慮の出来事、また寿命として死はすべての人にやってきます。
それは私たちに最も辛い出来事になります。自分の死だけでなく、近親の者がいなくなることの恐れと悲しみは大きいです。
生きたいと願う時、死は更にやるせないものとなります。

命の大切さ

 ところで、みなさまは、聖書の教えが「いのちの約束」であることをご存じでしょうか? 教会の日曜学校に来ている子供達に、「何
が一番大切だと思う?」と質問すると、「いのち」、「こころ」と答えが返ってきます。その通りです。

「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」 (聖書 マタイ16章26節)

 地上の命、それはこの世にあって人が生きている確かな唯一の証拠です。
自分の尊厳は、命にあります。命なくして、私たちは存在しないからです。
しかし、その大切な命が死によって、あっと言う間に、何も残すことなく私たちの前から消えてしまうのです。

永遠のいのち

 しかし、神は私たちに失せることのない「いのちの約束」を下さっています。
この「いのちの約束」は、消え去ってしまう地上の命ではなく、永遠の命のこと、神様の約束です。
 私たちはその「いのちの約束」を聖書の言葉と信仰によって信じています。また、自分自身の尊い存在の故に信じています。

 それは、死後どうなるのか?と言う問いの聖書の答えです。
 それは、神の救により、死後においても永遠に、イエス・キリストと共に天国にあることであり、神と共に生きることです。地獄ではなく、天国に行くことです。
生きている時に決断すべき、神の救です。

いのちを受ける恵み

 その約束を受けるにはどうしたら良いのでしょうか。

「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜 物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」
   ( 聖書 ローマ6章23節 )

 真の救主イエス・キリストによって、私たちは「永遠のいのち」を得るのです。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この 世を愛して下さった。それは御子を信じる 者がひとりも滅びないで、永遠の命を得る ためである」  
( 聖書ヨハネ3章16節 )


 ただ、イエス・キリストを信じることによって、私たちは永遠の命を得るのです。

 先にお話した私の父は、病床でこの約束を受けるためにキリストを信じるとうなずきました。私はこのいのちを信じています。この神様の「いのちの約束」に期待しています。

 人の命はどういうものでしょうか?
聖書は高価で尊いものとして教えています。しかし、人は神を捨て、神を軽んじ、罪の中に生き、死にむかっているのです。
神は、このような罪人をも愛して、救の道をイエス・キリストにより開いて、「いのちの約束」を下さっているのです。