こうちジョイタイムス2003年11月号 No42 | ||
年令を越えて 「年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。」 (聖書 イザヤ書40章30,31節) 年をとるに従って、色々と弱くなるところが増えてきます。 最近、めっきり視力が弱くなって、聖書の索引を見る時も苦労しています。 それでも心だけは、積極性、前向きな姿勢だけは持ちつづけたいと願うのですが、肉体の衰えに比例してか、心も弱気になって来るものでしょうか。 ところが、聖書が教えているように年老いても、新たなる力を得る、わしのようにのぼる者になれると言うのです。 限界 日本人は少し前まで「ウサギ小屋」に住む「働きバチ」と揶揄された時がありました。皆様ご存じでしょうか? 生活環境はそれほど恵まれていないのに、よく働いていたのです。その勤勉が日本の高度成長を支えました。 |
ところが、低成長時代に入り、人々は疲れやすくなったようです。当然、無理をして働けば疲れてしまいます。「過労死」と言う言葉も出来ました。 しかし、問題なのは、肉体の疲労よりも心の疲労こそが、人を立てなくさせてしま ったのではないかと思うのです。 希望がある時は、人は癒されやすい、疲れもとれやすく頑張れるのです。 近頃、テレビで健康的な食生活のために、一日一食は好きなものを気にしないで食べることが勧められていました。カロリー計算しないで、そして肥満にならないと言うのです。かえって減量出来たと言うのです。 つまり、肥満を含めた不健康は、心のストレスが大問題だったと言うのです。 神と信仰と祝福 神のご存在は、「神はない」と言う以上に確かなことだと私は考えます。 私にとっては、理科の授業で教える「すべての生き物は進化によって出来た」と考えることほど信じれないものはありません。偶然に、命が生まれ、偶然に高度な生物に進化し、偶然に自分が存在し、偶然にすべてが終る。 しかし、聖書は意思ある万物創造の神がおられ、私たちを意味あるものと創造し、今の恵まれた自然界を創造し、愛する対象として私がここにいると教えます。 |
そして、聖書は弱った時、落胆した時、被ぞう物に信頼するのではなく、この神に 信頼し、彼を待ち望むなら、力が与えられると言うのです。 信仰とは しかし、人は罪の中にいて、心は盲目となり神を信じることも愛することも出来ない者になっています。 「見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ」 (聖書イザヤ書59章1、2節) 信仰とは、この罪を解決する為に、人となられた神の御子を信じることです。 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで永遠の命を得るためである」 (ヨハネによる福音書3章16節) そして、信仰を持って神に立ち返ったものを神は祝福されます。 信仰は、生きる意味を教え、生きる力を与え、老いた時も見放さず守られます。この方に信頼することが、本当に大切であること、それが私たちの喜びにつながるのです。 |
****クイズ*** 1)モーセが箱舟に動物をたちを乗せた時、動物一種類につき何 匹ずつ乗せたのでしょうか。 2)電車が時速80マイルで北へ向かっています。時速20マイルの東風が吹いているとすると、電車の煙はどの方向へなびいて いるでしょうか。 <前回の問題と答え> 問題1)これらの数字は一体どういう順序で配列されて いるのでしょうか。 0236719458 答え 英語に直し、アルファベットを逆にして並べてある。 問題2)ケーキに3回ナイフを入れるだけで八等分するにはどうしたらよいでしょうか。 答え上から縦、横にナイフを入れ、最後に横から上下にナイフを入れる。ただし、この場合ケーキの種類によっては、喧嘩になりそうです。 |