こうちジョイタイムス2003年12月号 No43

クリスマス
の夜

さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。 (聖書 ルカ福音書2章8〜11節)

 クリスマスの歌は多くの人に愛され、歌われています。聖歌と言われる礼拝用賛美歌があるのですが、その中でもクリスマスソングは目立っています。「きよしこの夜」「たみみなよろこべ」「君なるイエスは」・・・それぞれに美しさ、聖さ、明るさがあり、人の心にしみ入ります。

聖い夜の話

クリスマス、それは人類の救主イエス・キリストのお誕生をお祝いする日。その夜の話です。

 身重の妻と夫が、慌てて宿を捜しています。遠く100km以上離れた村ナザレから、住民登録の為にベツレヘムの町に来た若い夫婦(ヨセフとマリヤ)です。
 しかし、泊まれる宿はなく、しかたなく彼らは家畜小屋に入ります。そして、マリヤは、そのワラの上で赤子を生み、その飼葉桶の中にかわいい赤ちゃんを寝かせました。これが、神の御子、救主イエス・キリストの誕生の次第です。 この最初のクリスマスの時、彼を歓迎する宿はなく、彼を拝する為に来たのは、羊の番をしていた貧しい羊飼たちだけでした。

心を慰めるクリスマス

 しかし、この静かな夜の出来事に、私たちは大切な慰めを見いだします。

1)粗末な家畜小屋に生まれた。
 これはキリストの謙遜で従順な歩みを象徴しているようです。 御子は成長され、愛の中を、ご自身聖なる方として十字架につかれるまで、謙遜と従順を持って歩まれました。
しかも、その死は私たちの罪の身代わりであり、私たちに対する愛の犠牲でした。なぜなら、その犠牲によって私たちは罪ゆるされ、救われるのですからです。

2)イエスは貧しいものと共にあった。
 最初に羊飼が彼を拝する為に来たことは、神の御心をあらわしています。 イエス・キリストは神であられたのですが、神である地位を捨てて、弱さの多い人となって下さり、しかも、心の貧しい罪人を愛し共に歩んで下さいました。私たちも、孤独な自分を発見する時がきますが、神の御子が孤独を知られ、私たちと共にいて下さるのです。御子は神
である故に、遠い存在でしたが、低くなって下さったことにより、共にいて下さるのです。これは大切な慰めです。

神の愛

 キリストの誕生をお祝いするクリスマスが、孤独な私たちの心を慰めてくれ、一時の聖い思いを与えてくれるのは、こういう神様の変らない御心に訳があるのです。

『きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである』

 あなたは、この聖い、愛なる神をご存じでしょうか?キリストは今日も、あなたの心の宿を捜しています。それは私たちが彼を心に迎え入れて、彼と共に聖い歩みを知る為であり、私たちが罪を離れ、罪ゆるされて彼と永遠にまで共にあるためです。

そして、あなたの心に語りかけています。
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」 ( 聖書 ヨハネ黙示録3章20節 )

このクリスマス、あなたの心に、イエス様をお迎えしませんか?