こうちジョイタイムス 2004年2月号  2面
簡単メレンゲケーキ (レシピ)

 オーストリア生れの、サクサク歯ざわりが心地よいメレンゲケーキ。ホイップクリームとフルーツを添えるのがルールと言われますが、おやつにデザートにいかがですか

<材料>(八個分) 
・メレンゲ     卵白1個分、砂糖40g
・ホイップクリーム 生クリーム 100cc、ラム酒 小さじ1
・好みのフルーツ
<作り方>
1)水気のないボールに卵白を入れ、少しづつ砂糖を入れて角が立つほどに泡立てる。残りの砂糖を五回に分けて加え、その都度、角が立つまでしっかりと泡立てメレンゲを作る。
2)下準備した天板にスプーンを使って、メレンゲを直径5cmぐらいに落し、好みの形にして、120度のオーブンに入れて40?50分焼く。あまり色をつけないように注意し、表面がかたまり、中までカラカラに焼けたら、取り出す。
3)別に生クリームとラム酒で、ホイップクリームを作り、フルーツを食べやすい大きさに切る。
4)2)でできたメレンゲケーキに、ホイップクリームとフルーツを添える。
動物たちの不思議(1)

蟻(アリ)

 動物たちの生態を観察すると、さまざまな振る舞いがあります。人間の目には、道徳的で模範的であったり、逆に不道徳的であったり様々なんです。

「なまけ者よ、ありのところへ行き、そのすることを見て、知恵を得よ。ありは、かしらなく、つかさなく、王もないが、夏のうちに食物をそなえ、刈入れの時に、かてを集める」 ( 聖書 箴言6:6〜8 )

 アリの種もさまざまで、大体女王アリを中心に働きアリがおり、夏から冬にかけて昆虫の屍骸や草や木の種を集めて食糧として貯蔵するもの、昆虫や動物を狩猟するもの、カイガラムシやアブラムシを牧虫するもの、キノコなどを栽培するものなどがあるようです。
 まさに人間社会の仕事そのもので、彼らは熱心に集団の中で誰かに使役されていると言うよりは、役割分担があって自発的にわきまえ、何しろ良く働く。
 人間に近いサルでも、食糧の栽培は行っていないのに、アリは驚きです。聖書はアリから知恵を得よと教えています。
<編集後記>

 わが息子の小学校校長先生は女の先生ですが、欠席の電話連絡をすると応対に出て来られ、所用で行くとよく庭の雑事をしておられる方です。応対も笑顔でされるので話しやすい、そして子供をあずける者には、安心感を与えてくれます。
 最近、女性の社会進出は活発ですが、さまざまな重い問題を抱えこむ社会になり、コミュニケーションのできる人材が求められているのだろうな!と感じました。この新聞も良いコミュニケーションが目標です。
 今までは、男性はとかく自分で殻を作り、柔軟性に欠けがちでした。これからは、性別にとらわれないで、社会の求める謙遜さ、柔和さ、明るさ、そして勇気を持った人材がさらに出て来てほしいですね。
<今月の予定>

レディースお料理教室

2月27日(金)午前 10:00
場所:教会にて 会費:300円(ランチ代)
        指導:菅 アナリサ さん

 今回の料理は、煮込みハンバーグとチーズケーキ


参加御希望の方は、私たちの教会へ当日までに電話連絡をお願いいたします。
こうちジョイタイムス2004年2月号 No44


神に見守られて


「人の道は主の目の前にあり、主はすべて、その行いを見守られる」  (聖書 箴言5章21節)

 人は、誰かの視線を気にしがちです。壮年は世間体を気にし、若者は仲間の視線を気にします。それは随分と窮屈だと思うのですが、一方で仲間内では立派に見られるでしょう。

 人の目をあまり気にしない人は、のびのびしているように私には見えます。何年前でしょうか?オバタリアンと言う言葉がはやりましたが、周りを気にしないで我先にバーゲン品に殺到するような主婦をそう呼んでいたように思います。随分と伸び伸びしているのですが、自分勝手でしたね。

 結局、人の視線を全く気にしないと、常識はずれと思われたり、ダサイと感じられたりするだろうと思います。また、のんびりし過ぎで、だらけた生活になりがちでしょう。

神の目を気にする生き方

 人の目を気にしないで、しかも礼儀を心得た、人の評判も悪くならない、そんな自由な心でいられる生き方はないものでしょうか?
手前味噌ですが、信仰者の生活の中に、その秘訣を見いだすことが出来ます。
 それは人の目を気にしないで、神の目を気にする生き方、信仰に裏打された内なる良心の声に耳を傾
ける生き方です。外からの無慈悲な視線、思いやりのない言葉があったとしても、心が乱されないで、平静を保つことが出来、しかも、自分を自制する道を教えられていくのです。神様の声に従う生き方です。

神を信じる

 それは、私たちが万物創造者なる神様の前を生きていることを自覚する道です。

「神のみまえには、あらわでな被造物は ひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである」 (聖書 ヘブル4章13節 )

 最初の聖句にも「人の道は主の目の前にあり」とあり、私たちの生活全てが神様の前に明らかであることを教えています。

 現在の道徳的退廃、心の荒廃は神を無視して、自己中心に生きるところにあります。学校では無神論、進化論が教えられ、神はいないと教えます。社会では人はお金や名誉こそが最高の物であると教えられ、心では肉体の快楽を追求します。しかし、その結果は心の荒廃であり、生きる意味を見いだせなくさせます。
 しかし全ての信仰者が証しすることですが、神の存在を信じること、無神論からキリストを信じるようになることは、人生でもっとも有意義な、人生で最も大切な出来事なのです。

神の見守り

「主はすべて、その行いを見守られる」
 主の守りを信じる信仰は二つの守りを経験します。
 第一に、私たちが悪い道に進む時、正しい道に導いて下さることです。羊飼が道から外れ、迷った羊を連れ戻すように、時として少々荒っぽい方法でも正しい道に連れ帰ります。

「あなたがたは、終りの時に啓示さるべき 救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである」
   (聖書 ヘブル1章5節)

 神を意識した歩みは、私たちを救の道に導いてくれます。

 第二に、祝福の道です。
主に従うものには祝福を用意されます。

「あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである」
    (Tペテロ3章9節)

 神様の祝福は、信仰者の道が正しいことを確信させ、更に神の恵み深いことを理解させます。 神様の見守りは、親が子供を見守るのに似て心地よいものです。見守られている私たちは安心できるのです。

 私たちが重い試煉の中にある時、私たちを真に支えてくれるのは、人の目ではなく、神の優しく御力に満ちた見守る目です。また、人を意識し恐れる時、神の目は私たちを奮い立たせ、勇気を与えてくれます。目を開き、神を見上げましょう。

「そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、「あなたの信仰どおり、あなたの身になるように」。すると彼らの目が開かれた」  (聖書 マタイ福音書9章29、30節)
<クイズ>
問い あるお百姓が100ドル出して百頭の家畜を買いました。牛は一頭10ドル、羊は一頭3ドル、豚は一頭50セントします。 彼はそれぞれ何頭ずつ買ったのでしょうか。    (高校生の数学程度、ちょっと難しいかも?)