こうちジョイタイムス2004年5月号 No45


神の愛


「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた」
( 聖書 エレミヤ書31章3節 )

                 
 社会には、絶対に愛が必要な関わりがあります。第一に夫婦の関係に、そして、親子の間に愛は絶対に必要です。

「互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である」
(聖書 コロサイ3章13、14節)


この通りだと思われませんか?
しかし、愛はこのような身近な関係に限られるのではなく、もっと大きな社会の中に必要な徳です。

◆ 愛は違いを越える為に必要です
 
 争いの主な原因は、互の違いにあります。考え方の違い、価値観の違い、育ちの違いなどです。その違いの為に、言動のすれ違いが起るからではないでしょうか。そして、自己防衛の為、怒りや憎しみが起り、争いにつながります。今もイラクで戦争がありますが、互の無理解が大きな原因になっています。

 私たちも相互の違いを受け入れることが出来ず、
上手に付き合えない、より良い関係を築くことが出来ず、孤立感を持ち、精神的にも落ち込むことがありますね。
 この違いの垣根を取り除き、良い交わりをつくり上げる最高の方法が「愛」なのです。

「愛は寛容であり、愛は情け深い」
    (聖書 1コリント13章4節)

 ところで、私たちは生れながらこの愛をもっていないのです。子育てをしていて、子供たちは自分中心的で兄弟喧嘩が絶えません。ある小学校の先生が、子供たちは目を離すと本当にむごい所があると言われました。

◆ 愛を知って、愛する者になる

 有名なヘレン・ケラーの話を思い出します。重度の障害(見ること、聞くこと、話すことが出来ない)のために、いつもイライラしていた少女。自分の思いが相手に伝えられず、欲求不満になり、人を愛することも信頼することもできなくなっていました。
 しかし、ヘレンを愛していたサリバン先生の温かい涙に、自分が愛されていることを知り、その愛の素晴らしさに固く閉じていた心が開けられ、どんどん新しい知識を吸収し、新しい人生を見い出したのでした。

 彼女は愛を知って、人を愛することが出来るようになりました。人は愛を知って、愛することを覚えると思います。
 自分自身の内にも愛の不足を感じる時、その理由として愛された経験が少ないと言えないでしょうか。人は愛されて、愛することを学びます。

「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った」
(聖書 Tヨハネ3章16節 )

◆ あなたは神に愛されています

「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している( 聖書 エレミヤ31章3節 )

 神が私たちを「限りなき愛」をもって愛していると言います。今は人の心が砂漠のような時代です。愛の潤いに渇いているのに、いっこうに満たされないのです。
 親子の関係を見るなら、昔のように自分を犠牲にして子育てを喜んでできる母親は少なくなっているように思います。誰もが、自分の為に生きようとしています。自己中心の社会の中で、私たちの心が渇くのは当り前です。
 しかし、感謝なことに、私たちが周りを見るのではなく、神をを見上げ、イエス・キリストを信じ、神の愛を知るなら私たちの心は潤されるのです。しかも、少しづつ限りなく潤されるのです。

◆ キリストによる神の愛

 聖書は、人が最高の医者であるキリストの元に行くならば、癒されると教えます。

「わたしたちが神を愛してのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある」 (聖書 ヨハネ第一の手紙4章10節)
 イエス・キリストが私たちの罪のために供え物として死なれた、ここに愛があると言われます。それは、誰でもこのイエス・キリストを信じることにより、神の限りなき愛を信仰によって受け、そのキリストの犠牲の愛により、罪を赦され、魂は救われ、そして、愛を知る者に変えられるのです。