こうちジョイタイムス2004年10月号 No47

神を恐れることの大切さ

「わたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れない」 (聖書 ルカによる福音書 12章4、5節)

恐れ

 最近、恐れを感じさせる出来事が頻繁にあります。常軌を逸したテロや犯罪、地震や台風などの災害。私たちの平凡な日常生活にも病気や事故など、思いもよらないことが起ります。不安を挙げればきりがありません。でも、どのような状況に巻き込まれても、心に平安を持ちつづけたいものです。

恐れることの損失

「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する  者は安らかである」 (聖書 箴言29:25)

 人を恐れること、上司の顔色を見、評価ばかりを気にしている時、人間関係が壊れないように、周りの人が気になり過ぎる時、私たちは思いもよらない罠に陥ると教えています。真実が見えなくなり、なすべきことが分からなくなり、間違って考え、行動するからでしょう。
 不安の強い恐れは判断を誤らせます。イエス様は「からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者を恐れるな」と命じました。たとえ肉体の死をもたらす者であっても恐れるなと言います。
 恐れは、私たちの心におびえ、不安を宿らせ、情緒を不安定にし、日常生活を混乱させます。イエス・キリストはこの世のすべての恐れを不必要、「恐れるな」と断言されています。

イエス・キリストの言葉

「恐るべき者がだれであるか、教えてあげ よう。殺した後で、更に地獄に投げ込む 権威のあるかたを恐れなさい」

 しかし、恐れることを止めよとは言わず、ただ神だけを恐れるように命じています。
「殺した後で、更に地獄に投げ込む権威のある方を恐れなさい」
恐ろしい表現ですが、すべてを正しく裁かれる神を恐れよといいます。

神を恐れるとはどう言う意味か?
1)神様の存在を信じ
2)神様の全権を受け入れ
2)神様に従おうとする心です。

不信仰を止め、神様を信頼することです。
 

神を恐れることによって

 神を恐れる結果、私たちは他の一切の恐れから解き放たれ、平安な心が与えら
れます。そのわけは?

1)神(主)が助け主であるから。

 私たちは弱さ、罪深さの故に、世の出来事に「恐れ」を持ってしまいますが、救主なる神が助けて下さるのですから、恐れる必要はないのです。

「主はわたしの助け主である。わたしには恐れがない。人は、わたしに何ができようか」  (聖書 ヘブル人への手紙 13章6節)

2)愛が恐れをとり除くから。

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く」  (聖書 ヨハネ第一の手紙4章18節)

 親に愛されている子どもたちは、不必要な不安やおびえがありません。それは親の裏切らない愛、危険から守ってくれる愛を信じているからです。
  同様に、神様を恐れるとき、人は神様の奥深い愛を知り、心が満たされていきます。神への信頼が深まり、愛されていることを確信し、その愛によって不安(恐れ)が取り除かれます。それは、恐れから解放され、心に自由が与えられるからです。

「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである」 (聖書 ガラテヤ人への手紙5章1節)

神を恐れ、神の愛を知り、世の恐れから解放されることは素晴らしい恵みなのです。