こうちジョイタイムス1999年8月号

癌だと知って

萬好 初子

 今から8年ほど前、私は癌にかかっていることを知りました。それは、胃の具合が悪くて約一ヶ月、治療のため入院し、その後退院してクリスマスが近い頃でした。

 退院してからも具合はそれほど良くならず横になって寝ている状態が相変わらず続いていたそんなある日のことです。ある方から主人に電話がありました。電話口に出た主人の顔がいつになく真剣になったのに気付き、私はとっさに自分の体のことだと悟りました。「明日うかがいます」と言って受話器を切った主人にしつこく尋ねてみると、案の定それは病院からのものでした。私の病気のことで先生が話があるから内緒で来て欲しいというものでした。そういいながら主人は涙をこらえているようでした。

 「私はクリスチャンだから死に対しての恐れがないので、私も先生から直接話を聞きたいので、明日一緒につれていって。」と主人に頼みました。

 しかし、その夜、私はなかなか寝付くことが出来ませんでした。とにかく遺言を書こうと決心し、教会宛と主人宛に書いていたら、今まで38年間神様がどれほど私を愛し恵んで下さったか・・・。特に信じてから20年の歩みを省みると、もう一度神様に感謝がわいてきました。しかし、同時に、当時1年生とまだ幼稚園にも行っていない二人の子供の寝顔を見ていると涙が止まりませんでした。「神様、この子供たちはどうなりますか。そしてこれから始めようとしている私達の働き四国徳島宣教はどうなるのでしょうか。」そんな祈りを神様に投げかけていました。

いい知れぬ平安

 その瞬間、脳裏に浮かんだ聖書の一節が私を勇気づけてくれました。すぐ聖書のその箇所を開いて何度も何度も読み返しました。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神が全てのことを働かせて益として下さることを、私達は知っています。」 ローマ8章28節

 全てのことを益として下さる。たとえ私が天に召されるようなことがあっても、残された家族にとってこれからの働きにとって全て益となるといわれた神の御言葉は、私にいいようもない深い平安を与えてくれて、一時の動揺がうそのように平安につつまれたのを今でもはっきり覚えています。

 次の日、悪性リンパ肉腫ということでお医者さんから癌の宣告を受けた時も他人事のように平静でいられたのは神様の支えがあったからです。

 12月26日、祈りつつ平安のうちに胃の4分の3を切除する手術にのぞみました。お医者さんの話では開いてみないとわからないが、術後5〜6日もすれば食べられるようになり、回復に向かうだろうということでした。

 しかし、実際には、気付いた時には、鼻と体に4〜5本の管がつけられ、両手には器具が取り付けられ、身動きの出来ない中で高熱に苦しむ状態が39日間も続きました。その間、食べることも、飲むことも許されず生死の境をさまよいました。(危機を脱した後、お医者さんはあの時、いつあっちにいってもおかしくない状態だったと言われました。)

苦しみの中で与えられた力

 生死をさまよっていたそんなある日、高熱と体全体からくる痛みといいしれない苦しみにおおわれて、もう耐えられないと思い「主イエスさま、もう十分です。私を天国につれていって下さい。」と涙ながらに祈った時、ベッドのかたわらで看病で寝泊まりしてくれていた主人が、うずくまるようにして必死で神様に祈っている姿が目に入りました。
 その時、信仰の光が与えられ、日本中の多くのクリスチャンが私がいやされるために祈って下さることを思い起こしました。また、十字架のキリストの姿が私の目の前にはっきり見えたように思いました。そのキリストが「私はあなたを愛しています。」と言っておられるのを聞いたように思いました。

 私はハッとしました。何の罪もないキリストが十字架の上で苦しまれたのは、私の罪の罰を受ける為でした。その苦しみに比べたらこの痛みはまだ耐えられる。そう考えた時、内からもう一度生きるための力をキリストは与えて下さったのです。それから、あと一回の手術と制癌剤を投与するための3回の入院中も神に愛されている確信と喜びがますます強くなっていきました。

いやし以上のものを得ている喜び

 私は約1年半入院しました。この病と入院生活は色々なことを私に教えてくれました。

 一つは病が癒された事以上に、私がいつ死を迎えても永遠の住まい・・天国が私に用意されていることです。ですから、私は死を恐れることがないことを神に感謝しています。それは「私は、よみがえりです。命です。私を信じるものは、死んでも生きるのです。」と言われたキリストを信じて救われたからです。二つ目は、日本中の多くのクリスチャンの友が私の為に祈って下さり、励まして下さったことです。

 三つ目は、クリスチャンはどのような苦しみの中にあっても、キリストはその苦しみの真ん中にいて、どのような人をも慰め励まして下さることを教えて下さいました。

 最後に、神様はこの経験を通して、体の弱さや苦しみの中におられる方々を思いやる心も私に与えて下さり、これから神と人の為に生きるものとして下さったことを心より感謝しています。