こうちジョイタイムス1999年9月号

こころ

 「われわれは天にいます神にむかって手と共に心をあげよう」 (聖書)

◇ 軽んじられるこころ

 人間関係が希薄になってきていると思いませんか。隣人が遠くに感じられませんか。お互いが同情し、共感する心を失ってきているように思います。

 若者たちは、実に快楽追求に走る者が多くなり、流行には敏感でも、人の話は聞かなくなりました。夏目漱石の小説に「こころ」がありますが、人のエゴ、利己主義を見事に表現しています。

 とても仲の良い夫婦がいますが、破局に直面した話をしてくれました。10年ぐらい前のこと,彼女は夫が話の相談をして欲しい時にいてくれない!と感情的になっていました。1日の出来事を話しても、上の空で聞く夫。悩みを相談したい時には、そばにいてくれない。その内に、彼女は「この人に話しても無駄だわ!」と思うようになり、家庭訪問をする宗教に傾倒して行きました。その結果、夫とのは溝がさらに深まり、家庭崩壊の危機になったのです。しかし、間違った教えであることに気付かされ、現在は、以前以上に大変仲むつまじい御夫妻となられています。
 この様に夫婦の間での行き違いは多いものです。そして、そこにも人間の利己的な生き方が引き金になっています。つまり、共感してくれない、無関心、利己的な心です。

 世紀末、人は人の心を優しく見ることを忘れ、外の顔かたちを見るものになってきました。人が人としてある最も大切なものを失っているのではないでしょうか。

◇ 利己主義に走る

 利己的な心の為に起こった、身近な問題となっている二つのことを上げます。皆様はどう思われますか?

◇ 現象1: 家庭崩壊・学級崩壊

 自分さえ良ければと考える人たちは、まず人間関係崩壊の危機にあります。それは、親と子の断絶、夫婦の断絶、兄弟の断絶。まず、家庭がばらばらになる現象で表れるように思います。

 協調性のない利己的な考え方が身についた子供たちは学校で、学級で真に心の通った友だちを作れず、先生とも上手に付き合えないで安易な方向に流されています。受験競争は、利己的な考えを更に助長し、心を置き忘れ、人間性を失っています。

◇ 現象2: 信用のない日本企業

 日本の有能な企業マンが外国で良い評価を受けられないでいるのも、一つには相手の心を知る努力、相手に共感する心が不足しているからではないでしょうか。受験戦争を勝ち抜くことに青春を捧げた人たちが、利己的な考えではなく、土地の人の気持ちを察し、会社中心ではなく、その地方の利益を加味した営業をすすめることは難しいでしょう。

 長い間、日本人が心の中に知らずに育ててきたもの、種を蒔き続けた利己的な考え方の収穫をしているのではないかと悲しく思うのです。
 人の心にストレスがたまるのも無理がありません。人はお互いが支えあって、初めて心に充足を得るものです。
 現在、その利己的な心は日本社会にまん延していて、暖かみのない行動、言動が人の心を傷つけ、暗くしています。

◇ こころを大切にする

 心を大切にしている人たちがいます。
特に、身体障害を持たれている方の中には、利己的な生き方の限界を知り、本当の喜び、「愛」と言われるものを大切にしている方がおられると思います。

 先日、壮年になって盲目になり、そこからマラソンを始めて、日本縦断をされた方がいました。暖かいもてなし、励ましの愛に触れ、彼は健常者の時には経験できなかった、心の感動を見出されました。
 「五体不満足」の乙武洋匡さん、ゴスペルシンガーのレーナ・マリヤさん、有名なヘレン・ケラーさんなど、重度の障害を持っておられましたが、優しい心の目、明るさをお持ちでした。苦しみの中から、心の目が開かれたのではないでしょうか。聖書の次の聖句を思い出します。

「『先生、この人が生まれつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか』。イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである』」 (聖書)

◇ こころ の目を開く

 心の目が開かれる祝福は、ある特別な人の特権ではありません。すべての人が手にすることができる祝福です。
 イエス・キリストを真に知ることによって、心の目が開かれることをお伝えしたいと思います。
パウロと言う聖書記者は、キリストに出会うことによって、有名な言葉を残しました。
「サウロ(パウロ)の目から、うろこのようなものが落ちた」とあります。
 人はイエス・キリストに出会い、彼を信じることにより、目からうろこのようなものが落ちるように、心の目が開かれます。
 私達がイエス・キリスト様を心に受け入れるなら、神様は私達に利己的な罪人としての生き方ではなく、新しい本当の生き方を示して下さいます。
「だれでも、キリストにあるなら、その人は新しくつくられた者である」 (聖書)
そして、目が開かれた者は、自分自身が神に愛されている、尊い存在であることを理解し、愛する心の価値を見い出します。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしは、あなたを愛している」 (聖書)

と言われる神様の言葉に本当の平安を見い出すことが出来るでしょう。