教会の予定 他 |
教会は2014年に上記に引越しました。 |
5/4 の説教要旨を追加 6/1 の説教要旨を追加 7/6 の説教要旨を追加 |
9/14(日)”うちんく南国野市”集会 |
9/22(月) 中村集会 |
9/28(日)”うちんく宇津野”集会 |
2025年5月4日 説教要旨 ナアマン将軍の救い 列王紀下5章 13〜14節「その時、しもべたちは彼に近よって言った、「わが父よ、預言者があなたに、何か大きな事をせよと命じても、あなたはそれをなさらなかったでしょうか。まして彼はあなたに『身を洗って清くなれ』と言うだけではありませんか」。そこでナアマンは下って行って、神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと、その肉がもとにかえって幼な子の肉のようになり、清くなった。」 聖書に時々異邦人に対して主が恵みを与える話が出てきます。ここではイスラエルの敵スリヤ人ナアマンのライ病が癒された話です。主は敵国のしかも将軍を恵まれたのです。イエス様は次のように言われました。 ルカ4章 27節「また預言者エリシャの時代に、イスラエルには多くの重い皮膚病にかかった多くの人がいたのに、そのうちのひとりもきよめられないで、ただシリヤのナアマンだけがきよめられた」。 彼は罪の象徴であるライ病にかかっており、彼だけが救に選ばれました。彼がなぜ選ばれたか?と言う問いには、全知なる主は彼が癒されるとどうなるかを知られて、選ばれたのです。彼は癒されると自分の立場を顧みず、主に信仰をはっきりと告白します。信仰は行動で確かさが明らかになります。ナアマンは私たちのこの信仰と救いを教えています。 1)救いは罪からの解放 彼のライ病が癒されたことは、救とは罪から解放されることだと教えられます。私たちの災いはすべて罪から出ているので、罪が解決すると主の幸いを知るのです。 2)救いは自己中心からの解放 ナアマンははじめエリシャの言葉に自己中心のゆえに怒りました。私たちの信仰とはこの自己中心から解放されてイエス・キリストを主とすることです。 3)救いは御言葉を信じること そして御言葉を信じて従い、ライ病が癒されたように、救は御言葉を信じ従うときに与えられます。 この救いをイエス様は見える形で完成してくださいました。それはすべての人に提供され、誰でも悔い改めるなら無代価で与えられます。私たちもまた無代価で福音を伝えることにより、神の愛を世界に伝えなければなりません。 >過去の週報、説教動画は「今週のメッセージ」 にあります。 |
2025年6月1日 説教要旨 ヒゼキヤによる信仰の回復 歴代志下29章 28〜30節「そして会衆は皆礼拝し、歌うたう者は歌をうたい、ラッパ手はラッパを吹き鳴らし、燔祭が終るまですべてこのようであったが、 ささげる事が終ると、王および彼と共にいた者はみな身をかがめて礼拝した。 またヒゼキヤ王およびつかさたちはレビびとに命じて、ダビデと先見者アサフの言葉をもって主をさんびさせた。彼らは喜んでさんびし、頭をさげて礼拝した。」 北イスラエルは王国創始者ヤラベアムにならい、不信仰のまま速やかに滅びました。南ユダ王国は良い王と悪い王が出てきて、良い王はダビデにならう者でした。誰を模範とするかにより、弟子たちは最高到達点が決まります。私たちはイエス様でなければなりません。ヒゼキヤ王はダビデに真実にならい、ユダ王国で最も信仰的で成功した王となります。 彼はイスラエルの滅び、南ユダの衰退を見、そしてダビデ王の祝福と繁栄を思い、この国を信仰的に立ち直すよう奮起するのです。私たちも模範的信仰者を見て、心を一新して奮起したいのです。 彼は主に立ち返るために、国を清めようとします。第一にしたのが、 1)レビ人による清めです。 清めとは罪の自覚と悔い改めから始まります。 2)信仰と礼拝の確立です。 罪祭をささげ、燔祭をささげます。これは神様に近づくためには罪の悔い改めと、そのために律法に従って犠牲で、ここに信仰が求められます。必要だからです。私たちが知る完全な捧げもの、イエス様の十字架の死です。 3)最後に感謝の捧げもの 感謝は礼拝にともなうものです。1)〜3)はすべて私たちの信仰と礼拝と同じで、次の順序で経験することです。 @不幸の原因として罪を認める。A罪のあがないとしてキリストの十字架を信じ、キリストを救い主として信じる。B主に感謝をささげる。 ヒゼキヤの改革が終わると、民は喜び、主も喜ばれました。 歴代志下30章 27節「このとき祭司たちとレビびとは立って、民を祝福したが、その声は聞かれ、その祈は主の聖なるすみかである天に達した。」 私たちの喜びはこの主とのつながりによります。 |
2025年7月6日 説教要旨 アブラハムへの恵みの契約 歴代誌1章 ガラテヤ3章 6〜9節「このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のである。 だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。 このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。」 歴代誌上に入ります。これはバビロン捕囚からエルサレムに帰った時代にかかれた書で、学者エズラによると言われています。BC440年ころ、着の身着のままで荒れ果てたエルサレムに帰り、再建に乗り出した信仰者の書です。民に過去を振り返らさせ、希望を持たせ、主の御旨を教え奮起させるための書です。 初めにアダムからの系図から書き始められ、アブラハムへの言及があります。アブラハムはイスラエルの偉大な先祖であり、彼らの望みもそこから始まりました。信仰と希望の原点なのです。 著者はその希望が過去の罪の歩みにより台無しになったこと、民が主の御旨から外れ、最後は捕囚というすべてを失う結果になったことを教えます。しかし、アブラハムへの主の恵みの約束は変わらないことにより元気づけようとしたのです。 1)アブラハム契約 イスラエルの希望の原点がここにあります。創世記12章から記されています。彼は偶像の世界、不信の世において、主に強い信仰持った人であり、その故に主は彼を恵みの契約者として選ばれました。彼自身、子孫イスラエル、全世界への神様の祝福を無条件に約束してくださったのです。 2)全世界への恵みの契約 @それは時が来るなら、天地の主が救い主を生まれさせ、彼によって全ての人を救う約束です。 A方法は信仰による救いです。 方法はアブラハムの持った信仰。その対象としてイエス様が地に生まれてくださり、十字架で罪のあがないをなし終え、天に上られ、信仰による救いを完成してくださいました。私たちは信仰によって生きるものです。 |