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| 2026年8月3日説教要旨 公正な神の裁き 詩篇94篇12〜15節「主よ、あなたによって懲らされる人、/あなたのおきてを教えられる人はさいわいです。 あなたはその人を災の日からのがれさせ、/悪しき者のために穴が掘られるまで/その人に平安を与えられます。 主はその民を捨てず、/その嗣業を見捨てられないからです。 さばきは正義に帰り、/すべて心の正しい者はそれに従うでしょう。」 神の名ヤハウェが多く出てきて、その主を「あだを報いられる神」と呼びかけます。新改訳では「復讐の神」と訳されています。悪しき者がイスラエルを虐待しているのです。彼らは高ぶり、「神は見ない」と軽んじています。そこで詩人は彼らを裁いてくださいと祈り願うのです。 そして、民の内の鈍き者に悟れ、賢くなれ(8節)と、神を見上げるよう祈ります。外圧が続く中でも、民に嘆き苦しむことを止め、信仰の回復を伝えるのです。信仰者の立ち直りは、心により決まり、主に向かう時に始まります。 詩人が伝えようとして事は、 @主は全てをご存じであり、必ず正しくさばかれる。(9〜10節) A主を認め、教えられる人は幸い。(12節) Bその人は災いから逃れ、試練の時にも主からの平安があり(13節)見捨てられない。(14節) C王なる主は全地を、正義をもって裁き、民は喜び従う時が来る。(15節) 詩人は、この迫害の中にも主に守られたことを証します。(17〜19節) 詩人の願い「だれがわたしのために立ちあがって…悪しき者を責めるだろうか」(16節)と問っていますが、神ご自身が答えられました。その完成は主イエス・キリストです。主は裁き主として、不義に報い、悪しき者を滅ぼされます。 今の時代、私たちはどう生きるべきでしょうか。 @神の公正な裁きを信じ、良心的に神の義を求めているか。(マタイ6:33) Aキリストに頼って求めているか。私たちも罪を持つ悪しき者でした。しかし、キリストが十字架にかかり罪をゆるされています。キリストに向かっていますか。 神の公正な裁きを信じ、キリストの再臨を待ち続けましょう。 復讐は神に任せ、祈り、主の慰めと平安を受けて、主を待ち望み歩みましょう。 |
| 2026年7月12日 説教要旨 ダビデの祈り 詩篇86篇 詩篇86篇10〜12節「あなたは大いなる神で、くすしきみわざをなされます。ただあなたのみ、神でいらせられます。 主よ、あなたの道をわたしに教えてください。わたしはあなたの真理に歩みます。心をひとつにしてみ名を恐れさせてください。 わが神、主よ、わたしは心をつくしてあなたに感謝し、/とこしえに、み名をあがめるでしょう。」 敵に追われ命を狙われている中に、神にささげたダビデの祈りから学びます。 ダビデは神との親しい交わりの中で祈る信仰者です。この祈りを分解すると、 @彼は祈りの中で神への信頼を表した。(2〜5節) 自身が熱心に祈るものであり、あなたは慈しみある方だと訴えます。 A祈りに答えて下さる方。(7節) 神は祈りを聞かれる、そして御旨に沿って最善に適切な時と方法で答えて下さると信じているのです。 B祈りの中で、必ず主を褒めたたえる賛美をささげます。偉大な方、その御業を褒めたたえるのです。(8節) 賛美をもって神に栄光を帰すことは、神が求めておられ、祈りにおいて神を褒めたたえることは相応しいことです。 C祈りの中で神の道を求めます。(11節) ダビデは神の道を求め、一つ心で神を恐れる者になることを求めました。これは神を喜ばせ、祈りは優先的に主の御旨に従う者になることを求めるものです。 D神に感謝する。12〜13節 ダビデは神のいつくしみ、救いの業に感謝します。祈りに中で恵みの感謝は重要で 新約で神が感謝を求めているとあります。(1テサロニケ5:17〜18) E自身の救いを祈る 14〜17節 祈りの初めに少しでましたが、最後に具体的に助けを求めます。その時も、まず主を褒めたたえてより頼んでおり、祈りにおいても主が優先されます。 Fそして祈りを確信して終えています。 祈りは偉大なる神との交わりの時です。信頼をもって、賛美、感謝をささげ、御旨を求めて自身の祈りをささげましょう。 主の憐れみと慈しみを信じ、答えて下さることを信じ、祈ることを続けましょう |
| 2026年6月7日 説教要旨 罪のゆるしと回復 詩篇51篇 1〜2節「神よ、あなたのいつくしみによって、/わたしをあわれみ、/あなたの豊かなあわれみによって、/わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。 「わたしの不義をことごとく洗い去り、/わたしの罪からわたしを清めてください。」 この表題には、「これはダビデがバテセバに通った後 預言者ナタンがきたときによんだもの」とあり、ダビデ王の大罪とその悔い改め、ゆるしと回復の詩です。 1)ダビデの大きな罪 彼は王としての立場を固めた時、バテシバとの罪を犯し、その罪を隠そうとして罪を重ねました。しかし、神は預言者を送り、その罪を厳しく指摘されました。 2)悔い改め ダビデは預言者の言葉に恐れ、すぐに罪を認めます。それにかかわる心が51篇に詳しく書かれているのです。信仰者ダビデのすぐれていることは、彼の徹底的な認罪と悔い改めです。 3)信仰の回復 この大きな試練は、彼をさらに深い信仰へと導きます。 @神の愛、そのゆるしの体験 彼の信仰は、自分ではなく神の愛とゆるしにより頼むものでした。 A主の御心を深く知る 「神の受けられるいけにえは砕けた魂です」と神との関係が深まります。 B新しい心の創造と聖なる霊を求めます。 彼は罪の赦しだけでなく、神に従う新しい心と歩みを求めたのです。この信仰による願いが、キリストによって完全に成就されました。 4)キリストによる完成 ダビデは、主キリストによる救いを望み見ていたのです。 彼が見上げていた神の御子キリストは、罪人を救うため人として世に降りてきてくださり、罪の赦しと回復のため、十字架で身代わりに命を捨て、勝利として復活してくだいました。ダビデが51篇で願い求めた救いを成就してくださり、今、私たちはその豊かな恵みに招かれています。キリストを信じ、その恵みの大きさを知り、真実な礼拝を神にささげましょう。 |
| 2025年5月3日 説教要旨 キリストの従順と救い 詩篇40篇 詩篇40篇6〜8節「あなたはいけにえと供え物とを喜ばれない。あなたはわたしの耳を開かれた。あなたは燔祭と罪祭とを求められない。 その時わたしは言った、「見よ、わたしはまいります。書の巻に、わたしのためにしるされています。 わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」と。」 40篇はダビデが神の多くの御業を体験し、それを語る中に、キリストを示した詩です。そこで礼拝の問題と神の救いの御業を語っています。 1)神の求める礼拝 ダビデは神が定めた犠牲の律法の大きな課題をあげます。それは、神は犠牲を単に求めているのではない、神に向かう従順の心が伴っていなければ空しいことです。礼拝は神に向かい従順を捧げるのです。(ローマ12:1) 2)神が備えられた救い しかし、人の罪はそれを不可能にします。自分を愛し、神を愛さないのです。そこで、神は救いの道を備えられました。それが新約でキリストを示すのです。 ヘブル10章7節「その時、わたしは言った、/『神よ、わたしにつき、/巻物の書物に書いてあるとおり、/見よ、御旨を行うためにまいりました』」。」 キリストは私たちに代わって従順を父にささげ、私たちの罪の身代わりとなってくださいました。 ピリピ2章 8節「おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」神の愛と恵みの現れです。 3)救いの応答 @救いの道は完成している 今、全ての人に神の救い道は完成し、恵みとして答えるよう招かれています。 何も持たず、ありのままにキリストを信じましょう。 A信仰生活 40篇2〜3節 ・キリストに目を注ぎ続けることは確かな歩みです。 ・新しい心が日々新しくされ、さんびのある生活です。 そして、この確かな歩みを通して、世の人が神を恐れ導かれると教えます。 |
| 2026年4月5日 説教要旨 キリストの復活 詩篇30篇 3〜4節「主よ、あなたはわたしの魂を陰府からひきあげ、/墓に下る者のうちから、/わたしを生き返らせてくださいました。 主の聖徒よ、主をほめうたい、/その聖なるみ名に感謝せよ。 ダビデは死を意識する苦悩からの救いを願い、かなえられた経験の詩です。この聖句の「生き返らせてくださいました」がキリストにおいて成就しました。 キリストは身代わりの罪の呪いを恐れましたが、父の御旨に従い十字架に向かわれました。そして金曜日に十字架にかけられ死なれ、土曜は墓の中、そして日曜日の朝によみがえられたのです。 ダビデは祈りによって死を回避しましたが、キリストは人の罪の身代わりに死なれ、そして死からよみがえられました。この事を聖書は「死は勝利にのまれた」と言っています。 ダビデは自分の喜び、キリストの死からの復活は周りの人たちを喜ばせました。 そして、この復活の時から、信仰者は救いの確信を持ち、教会は日曜の朝に集まり、礼拝を守るようになったのです。 キリストの復活がもたらす大きな人類の喜びがあります。人類の悲願、罪から解放と死に対する勝利です。 人類の始まりから、人は死を恐れ続けてきました。 ヘブル9章 27節「そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている」 人は死があるゆえに、絶望の中にありました。しかし、キリストの復活により、私たちは復活の希望、永遠の救いの喜びを見いだしたのです。 コリント人への第一15章 55節「死は勝利にのまれてしまった。 イエス様が2000年前、御使いの「大きな喜び」の宣言により生まれられました。そのキリストは十字架で死なれ復活によって、この真の大きな喜びを成就してくださったのです。私たちはこの喜びをもって、黙ることなく福音を伝えます。 そして、この復活を信じる人が救われているのです。 ローマ10:9「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。」 |
| 2026年3月1日 説教要旨 小さき者による神の栄光 詩篇8篇1〜2節「主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、/いかに尊いことでしょう。あなたの栄光は天の上にあり、 みどりごと、ちのみごとの口によって、/ほめたたえられています。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、/あだに備えて、とりでを設けられました。 主をほめたたえる言葉が小さき者の口から出て、敵を静めるとあります。この御言葉が直接成就した出来事が、イエス様がロバの子に乗ってエルサレムの町に入る時に起こりました。奇跡を行い、人々の完成をもって都に入る時、小さい子たちの口は「ホサナ」救ってくださいとイエス様に向けられたのです。この時、反対者たちは静まり、何も対抗できなかったのです。 1)主はご自身の栄光のため、小さい者、弱い者を用いられる。 栄光とは神のおられる事であり、神のご性質が現れることです。その栄光をあらわし、人に知らせるのが神の御旨です。 2)小さきものを用いられる 神が用いられようとするのは、小さい者たちです。放浪するアブラハムが選ばれ、数のすくないイスラエルが選ばれ、臆病なギデオンが選ばれ、羊飼いのダビデが選ばれました。彼らによって神はご自身の栄光をあらわそうとされたのです。 3)小さくなって来られた神の御子 人だけでなく、神ご自身も小さくなられました。キリストは大工の子として人となられ、罪人して十字架で死なれたのです。 その弱く、惨めに見えるキリストの十字架に、神の栄光、罪を裁く神の義、罪人をゆるす神の愛が現わされたのです。そこに罪人の赦しと救いが生まれたのです。 4)弱い者を招かれるキリスト 神の御子キリストは病人を招き、重荷を負い苦労している人をご自身の元に来るよう招いています。来るものが救われる為です。 救われた私たちの信仰生活は、砕かれた弱さを持ったままに、高ぶらずキリストに寄り頼み、常に主の栄光をほめたたえることです。背伸びせず、弱さのままに、愛してくださる主を尊び、喜びと感謝のある信仰生活です。その時、主は御力が現わされ、静まらせてくださり勝利を与えて下さいます。 |
| 2026年2月1日 説教要旨 あなたはわたしの友である ヨハネによる福音書/ 15章 14〜15節「あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。」 聖書に神の友と呼ばれる個所は数か所しかなく、旧約ではアブラハムに対して「わたしの友」と一度あり、新約では弟子たちにイエス様が「わたしの友である」と言われたぐらいです。その御言葉から、条件のように書かれたるのが、 @わたしが命じることを行うなら A父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたから と言っています。 ヨハネ15章はキリストにつながること、そして弟子たちを愛している事、命を捨てる愛が書かれていて、その上で上記の言葉をもって友であると言いました。 これらを通して、友とは愛の交わりがあり、その故に心が同じ、思いが同じである弟子たちに対して友と呼んだのです。 イエス様は弟子たちが僕の思いで従うだけでなく、深い愛の交わりと一致がある友として、同じ道を進むことを願われているのです。そして、その歩みにこそ、真の喜び、神の子にふさわしい安定した喜びがあることを伝えようとしたのです。 ヨハネ15章11節「わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。」 ところが、どれほどの信仰者がこの喜びを経験しているでしょうか。私たちはこの主の喜びに満たされることを目標にすべきと思うのです。 主の友と言うのが、主につながり、主と共に同じ方向に歩む者であるなら、その時、「わたしの喜び」がその信仰者に満ち溢れます。 1)世を愛する世の友となってはいけません。(ヤコブ4:4) 2)キリストの愛を知り、受けて、キリストにつながり続けましょう。 3)友として、キリストの御業に喜んで参加しましょう。(コロサイ1:24) その時、キリストの喜びが私たちの内に満ち溢れる。キリストにつながり、キリストを見続けること。信仰の導き手、完成者であるイエス様にとどまり、共に歩むことを求めましょう。(ヘブル12章 2節)。主が喜ばれることです。 |
| 2026年1月4日 年始礼拝 万事益となる主のご計画 <エステル記> ローマ人への手紙8章 28節「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」 エステル記には神様に関する名が出てきません。しかし、驚く奇跡はありませんが、誰が読んでもそこに神様のお働きを知るのです。そして、イスラエルの民の救いであり、万事が益となる方向に明確に進ませています。 1)エステル ペルシャ王妃につく エステルが不思議な方法で、ペルシャの王妃に選ばれるところから始まります。彼女の容貌だけでなく、心と日々の態度が認められたのです。 2)敵対者の出現 アマレク人の子孫ハマンが、ペルシャの王国の最も高い大臣につきます。彼は高慢で、他の人に敬礼を要求し、王の命令とします。ところが、ユダヤ人モルデカイは敬礼せず、ハマンは怒り、ペルシャ全国のユダヤ人を虐殺することを王にゆるされ、法としてしまうのです。 3)神の救いのご計画 @モルデカイの功績 この時、すでに救いのご計画は始まっていて、モルデカイの王を救った功績が王の日誌に載せられ、王が眠れない夜にそれを読み、彼の功績を思い出し、モルデカイをハマンによって称えさせるのです。 Aエステルの策略 神は奇跡ではなく、人を用いて神の民を救います。 モルデカイはエステルにこの時こそ、勇気を出して王に救いを請う時だと告げます。エステルは死ぬことを覚悟して策を実行し、ついに、ハマンの策略を破るのです。結果、ペルシャ全国のユダヤ人は救われ、今に至るまでプリムの祭りとして祝われています。 神様は明確にご自身の名を出されなくても、驚く奇跡を起こさなくても、日常の出来事で導き、全てを益とされます。その時、私たちが用いられるのです。信仰者は信仰をもって、主に信頼し、従順に歩み、主にすべてをお委ねして進みます。結果として、主の道を見いだし、主の救いのご計画が進んでいきます。 |