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2024年5月5日 説教要旨 律法と信仰と愛
申命記14:2〜3「あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。忌むべき物は、どんなものでも食べてはならない。

 主はイスラエルの民に向けて、「主の聖なる民「自分の宝の民」と呼び、日常生活の命令を伝えます。主は特別に選び、愛する民に律法を語られ、御言葉を語られる時、主との親しい関係の中にあることを覚え、忠実に従うことを求められています。 

1)食べ物の戒め
@食べてよい獣 3〜8節 A食べてよい水の中の生き物 9〜10節 B食べてよい清い鳥 11〜20節 ただ、自然に死んだものは禁止され、血を食べないよう命じました。
2)十分の一の穀物と獣の初子を、毎年定められたところで家族と共に食し楽しむ。
また、3年ごとに十分の一を町に蓄え、貧しい人に施し喜ばせるよう命じます。
3)7年ごとに借款をゆるし、兄弟である奴隷を解放し去らせる命令。
この律法には二つの大事な意味が含まれています。

1)服従することにより、神への信仰、神への愛を示す。
自分の思いを捨て、主に信頼し、服従する主への信仰と愛の証です。
2)隣人への愛 律法の行為は、隣人への哀れみと愛を証しするものです。貧しいものをほっておけない、自己犠牲を伴う愛の行為の実践です。そして、実践は主の御心を深く理解する者へ成長させます。これらの命令はどれも利己的なら難しいことで、主を恐れ、たっとび、服従する行為であり、自分の思いを入れる隙はありません。

 しかし、主イエス様が世に来られて、人は信仰により新しく生まれ変わり、主の御心にそった者へ変えられました。キリストの霊が信仰者の上に下る時、彼らは次のようになりました。 使徒行伝/ 02章 43節「みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。
使徒行伝2章 44〜45節「信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた

 心が変えられ、進んで愛する者に変えられたのです。主が私たちにご自身と同じ愛を持つことを望まれ、御子イエス様を世に下し、大いなる愛を示され、私たちを信仰へ導き、愛を教え、御霊が私たちを愛の人に作り変えて下さるのです。このイエス様を信じましょう。

2024年4月7日 説教要旨 申命記8章 いのちのパンによって生きる
申命記8章 1〜3節「わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、それを自分のものとすることができるであろう。
あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。


 天からのマナは、ヨルダン川を渡ると降ってくることを終えます。荒野の地でイスラエルは毎日のマナによって命を保つことができました。
40年の荒野の旅は、厳しい試練の時であり、同時に主が命と生活を守られたときでもありました。その時、主は民の信仰を試され、主が語られる御言葉によって、信仰によって行い生きると言うことを教える旅でもあったのです。1,3節
「生きる」と言うことは、神様が人に全歴史を通して教えようとしておられることで、それはアダムとエバが罪を犯し、死ぬものとなったことからの回復であり、人の幸福を教えることでした。

1)主の戒めを守って生きる。
1節「「わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ

 聖書の御言葉を守るなら、その人は生きる。3節 この真理は今も変わりません。

2)イエス様を信じて生きる。
ヨハネ6章 57節「生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。
イエス様は私たちにご自身への信仰によって生きることを明確に教えられました。

3)幸福になるため 申命記8:16
私たちは神様が幸福を与えるご計画を持たれていることを知っていますが、それはイエス・キリストを主と信じる道であることを知らなければならないのです。
2024年3月3日 説教要旨 経験から学ぶ信仰 申命記1〜3章
詩篇/ 119篇71〜72節「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。あなたの口のおきては、わたしのためには幾千の金銀貨幣にもまさるのです。」

 申命記は、新しくなった民に向けて主の律法を再びモーセが語る書です。もはやモーセはヨルダン川を渡ることはゆるされず、1〜3章では、民に向け今までの荒野の歩みを振り返り、その経験から律法に向かう信仰を教えようとします。
荒野の出来事

@カデシ・バルネアでの大失敗 申命記1章
ここで民は主の命令への不忠実による大きな災いの報いを経験しました。

Aエドムとモアブへの憐れみ 申命記2章
彼らがエサウ、ロトの子孫であるゆえに、彼らの土地は彼らに与えたものとして、穏やかにその地を過ぎることを命じました。

Bヘシボンとバシャンを滅ぼし、領地を取るよう命じました。申命記2〜3章その時、主は彼らの王の心をかたくなにし、戦いに向かわせ、彼らを滅ぼします。

 主はモーセにより、イスラエルの民が失敗を通して従順を学び、その時、主が戦われ勝利する経験を積ませられていることを教えます。
学ぶべきことは、

1)主に聞き従う姿勢
信仰とは主に聞くだけではなく、従わなければ意味がない。信仰とは聞き従うこと。イスラエルは注意深くどんなことにも聞き従う時に、勝利の祝福がありました。

2)その時、主が戦ってくださる
主は私たちの能力を見て命じておられるのではなく、聴いて従う時には、主ご自身が力を与え戦ってくださることを教えようとされています。主に委ねる信仰です。

 私たちは今、イスラエルの民より、より優れた救いと恵の世界に住んでいます。それはキリストの十字架と復活により、ただ信じる信仰によって救われる約束の時代に生かされているのです。だから私たちが最も大切にする信仰とは、イエス様への信仰であり、その愛を信じ、豊かな恵みを受けて、真心から主に従うことです。今までの経験を通して、信仰の在り方を深く学び、苦しんだこともよかったと言える信仰を持ちましょう。

2024年2月4日 説教要旨 復讐とキリストの教え 民数記31章
コリント第二の手紙6章1〜2節「わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた」。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」

 民数記31章は、ミデアン人に対する復讐を命じる特別なところです。主が復讐を命じ、兵士を選び送り出します。彼らは誰も失わず、多くの戦利品を獲て帰ってきました。

1)復讐の中に示される主の主権
@復讐に関する主の主権
復讐の権威は主だけが持たれ、人による人への復讐に対しても律法によって認められなければなりません。私たちは復讐心を持つことは良くないことです。(ローマ12:19)
そして、復讐の恐ろしさを知ります。(へブル10:31)

A地のものに対する主の主権
彼らは戦いに出て敵を打ち破り、多くの戦利品を持ち帰りました。それを主は民に分配しますが、第一に主にささげ、主の教えに従い、民に分配されます。それは地のものは主のものであることを理解させます。詩篇50:12、マタイ13:12

B地上における神の国と失敗
主のご計画は、地上にアブラハムへの約束を実行することでした。律法によりその姿を示し、信仰と従順によって祝福を与えようとしたのです。しかし、この計画は失敗します。

2)キリストによる新しい命令
@キリストが世に来てくださることによる救い
このアブラハムへの安息の約束は、イエス様が地上に来てくださることによる達成され、今成就に向かっています。キリストの十字架と復活はその源泉であり、御霊の内住がそのお力です。武力でなく、信仰によって、平安の神の国が今教会にあるのです。

Aキリストによる愛と平和の教えと神の国の完成に向けて
人の心を新しくすることにより、主の真の教えを根づかせ、真の神の国そなえをします。そして、主の戦利品、霊的な成長、救われる人の獲得を目指しています。

 旧約の話を読んで、今は本当に恵みの時、救いの日であることを覚えます。人の罪の奥深さにも気づかされ、明確な悔い改め、信仰をもって主に従う大切さを実感します。
2024年1月7日 説教要旨1勝利を信じる新しい出発
 民数記 21章 7〜9節「民はモーセのもとに行って言った、「わたしたちは主にむかい、またあなたにむかい、つぶやいて罪を犯しました。どうぞへびをわたしたちから取り去られるように主に祈ってください」。モーセは民のために祈った。そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。

 21章から、荒野の旅の最後の40年目、モーセ最後のご奉仕の時です。これからイスラエルの進軍の邪魔をする敵との戦いが始まり、荒野の時と違い、主は祈りを聞かれ、勝利を与えてくださいます。

1)祈りに答えてくださる主
これからの民の進軍の特徴は、主が祈りに答えてくださることです。民の不信仰の結果、荒野をさまよったとき、主は祈りに答えませんでした。申命記1:43〜46 しかし、主の裁きの年が終わったこの時から、主は再び祈りに答え導かれました。新しい出発です。

2)勝利の後のつまずき
しかし、勝利の後、その後の荒野の旅が厳しく、堪え難くなり、不平を言います。民数記20:4〜5 人はなかなか主の望まれる信仰者にはなれないようです。信仰が弱く、肉の欲に目をとめ、信仰から目を離しがちなのです。(箴言24:10)そして、その報いとして恐ろしい火の蛇の裁きを受けます。

3)主に立ち帰り、主の救いを受ける
しかし、彼らはすぐに悔い改め、主に救いをもとました。信仰がある時、何かの失敗があっても、罪に気づくなら、信仰は悔い改めに導き、主は祈りに答えてくださいます。神様は憐れみ深く、すぐに助けをくださる主です。青銅の蛇を掲げ、それを見上げれば生きるとしてくださいました。

 このように信仰者は勝利の道を歩むとき、失敗もありますが、すぐに悔い改め、正しい道に進み、主に導かれるのです。今、私たちには十字架にかけられたキリストがいてくださいます。彼によって罪が許され、救われ、日々の過ちもすぐに悔い改めて、祈り、信仰に立ち返るなら赦されます。2024年、私たちも勝利を信じる新しい出発を、強情を捨て、主イエス様への信仰によって出発しましょう。