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2022年6月5日 説教要旨 大きな苦しみと救い
ヨハネ黙示録13章8〜10節「地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。耳のある者は、聞くがよい。とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。」

 キリストが再び現れるときには、地上が恐ろしい世界となると予言されています。その終わりの時には、悪魔と独裁者と偽預言者が結託して、地上の人々を惑わし、支配し、苦しめるのです。その時、キリストに忠実であろうとする者は殉教するとあります。 最も災いなのは、獣に服従して、聖徒を迫害する民衆です。彼らは地上の大きな苦しみと共に永遠の滅びを受けます。

<大きな苦しみ>とは、地上の災いと圧政の中に生きることであり、永遠の滅びです。
地上は悪魔の支配のもとで、ほとんどの人は惑わされ、偽預言者を信じ、独裁者に従います。彼らはキリストではなく、悪魔を選びます。イエス様は言われました。
マタイ 25章 32〜33節「そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。」

人々は悪魔かキリストかを自身で選び、分けられます。この時の圧政によって地上に選別が明らかにされます。

1)主の守りがなければ、惑わされる。
8節に、惑わされないためには、「小羊のいのちの書に名が」なければならないとあります。イエス様を信じ、彼につながっている者は、獣を拝まないのです。信仰により、イエス様が守られて、惑わされることがないのです[k1] 。

2)聖徒たちの忍耐と信仰
信仰は主につながっておる忍耐を教え、それで十分に心は満たされます。

3)惑わされないために
イエス様は マタイ12章 39節「邪悪で不義な時代は、しるしを求める」といわれました。私たちはもう見えるもの、奇跡的なことを重要視してはいけません。キリストだけで十分でなければなりません。真実な信仰は十分に私たちを満たしてくれます。
想像を絶する大きな苦しみが訪れます。その時、私たちを救うのはキリストとその信仰です。この方による以外に、大きな苦しみからの救いはありません。
2022年5月1日 説教要旨 神の怒り 地の恵みの喪失と感謝
ヨハネの黙示録8章1〜13節「小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった。それからわたしは、神のみまえに立っている七人の御使を見た。そして、七つのラッパが彼らに与えられた。また、別の御使が出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。香の煙は、御使の手から、聖徒たちの祈と共に神のみまえに立ちのぼった。御使はその香炉をとり、これに祭壇の火を満たして、地に投げつけた。すると、多くの雷鳴と、もろもろの声と、いなずまと、地震とが起った。そこで、七つのラッパを持っている七人の御使が、それを吹く用意をした。」

 子羊が巻物の七つの封を解いていきます。この巻物は地に対する小羊の権利書という解釈があり、封が解かれるによって開かれるのです。そして第七の封が解かれると、聖徒の祈りに香が加えられ、地に投げつけられ、七つのラッパが吹かれます。

 この8章では、第一から第四までのラッパが吹かれることについて言及されている。

1)聖徒の祈りに答える神の怒り
ラッパの災いは、今までに聖徒の受けた怒りに対する神様の応答のようです。
黙示録6:9〜10,ローマ12:19〜20 神様はここで約束通り、聖徒に対する悪行の報復をされるのです。神様ご自身の怒りは後に神の怒りの鉢を注ぐことによりなされます。

2)恵みの喪失
ここでの災いは地と海から恵みを三分の一取り去り、天の光の三分の一奪うことでした。人々は大混乱です。生活物資の奪い合いが起こり、人々は恐れ、心は打ち萎れることでしょう。今まで普通のものと思っていたものがなくなるのです。この時、人々は神様の恵みを失い、初めて恵みの大きさを知ることでしょう。

2)私たちは恵みの中に生かされている
地球は驚くべき恵みの産物です。奇跡のオンパレードで、世の人は神秘と呼んできました。光・温度、水、空気、食物、色、景色・・・これらは当たり前のものですが、しかし、決して当たり前にあるものではなく、不思議な神様の恵みなのです。それを取り去られたとき、人は初めてその大きさに気付きます。
私たちは神の恵みを知り、感謝すべきです。そして何よりもイエス・キリストによる救いの恵みを知り、喜び・感謝し、永遠の望みを持つことを神様が喜ばれるのです。
2022年4月3日説教要旨 神に栄光を帰す
ヨハネ黙示録4章9〜11節「これらの生き物が、御座にいまし、かつ、世々限りなく生きておられるかたに、栄光とほまれとを帰し、また、感謝をささげている時、二十四人の長老は、御座にいますかたのみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った、「われらの主なる神よ、/あなたこそは、/栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、/また造られたのであります」。」
 この世において不信仰は常態化し、神に栄光を帰すことはありません。人は世を愛し、自分を喜ばせることのために生きています。しかし、この態度は世の終わりには神様の恐ろしいさばきに人を直面させるのです。黙示録4章からは、この恐ろしいさばきのいかに熾烈であるかを教えています。その最初の章である4章は、神様の栄光、人知を越した天の光景が描かれており、そこには4つの生き物、24人の長老たちがいます。
 彼らは神に栄光帰すことをしています。
イザヤ書/ 43章 07節「すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、/これを造り、これを仕立てた」
この主の御心が天では成就しています。
 この主の栄光を賛美している24人の長老は、信仰の歩みに勝利した教会の代表者です。彼らは信仰によって忠実に義に歩み勝利したため、白い衣を着て、金の冠を冠り、天の座につけられていました。
彼らの行動が彼らの変えられた心をあらわしています。
「御座にいますかたのみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った」
彼らは単に言葉でほめたたえるだけでなく、「彼らの冠」を投げ出したとあります。この冠は彼らの忍耐による信仰の勝利の冠でしたが、それを進んで放棄し、主に栄光を帰しました。
彼らの心が全く自分ではなく主に栄光を帰すものと変えられていたのです。
 キリストへの信仰はその人の心を全く新しくします。以前は自己愛と自己義認の罪人でしたが、キリストによって悔い改め、罪の思いを捨て、神の栄光をほめたたえる者と変えられたのです。 これはキリストの流された血、その愛により、信仰によって新しくされたからです。自分を捨て、神に栄光を帰す心を受けましょう。
2022年3月6日 説教要旨 信仰者の持っているもの
ヨハネの黙示録2章 18〜21節「テアテラにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる。わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。』

 キリストは「『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子』と、ご自分をその目は鋭く一切を見定め、悪を追い出される神として言われます。
@イエス様は真実を知られ、ほめられます。テアテラの教会は
「あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている」これほどの賛辞は最高の喜びです。
私たちもこのように褒められる者となることを目指します。
A罪を指摘します。
女預言者というイゼベルの罪です。彼女は教えと不品行を教会に持ち込みました。悔い改めの機会を与えられても悔い改めないので、彼女は大きな患難の中に投げ入れられ、従おうとする者を撃ち殺すと警告しました。

 すべての人に神様は悔い改める機会を与えられます。世の様々な苦難はそのためにあるか考えるべきです。苦しみを自分の原因の問題としてとらえ、生き方を変える決心をしてキリストの下に行きましょう。するとすべてが根本的に解決されます。
マタイ 11章 28〜29節「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。」

 そして、キリストを主とあがめ、忠実に従うとき、救われた者の新しい生活を経験します。正しくさばかれる主にほめられ、平安の生活があります。イエス様は
25節「ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。」
イエス様は信仰と忠実な歩みを求めています。罪を嫌い、離れ、罪に注意深く、信仰と愛を求めて歩みましょう。
 
2022年2月6日 説教要旨 イエス・キリストの黙示
ヨハネの黙示録1章 1〜3節「イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。

 ヨハネの黙示録の初めに、「イエス・キリストの黙示」と書き出されています。この書は父なる神が未来に起こることをキリストに与え、キリストがみ使いを遣わしヨハネに伝えたものです。神の御子イエス様は父をあらわし、父の御旨を私たちに伝え、実現のための御業を成就して下さった方、現在も未来にも成就して下さる方です。

 特に、黙示録においては神様のさばき、報いに焦点が当てられています。初め2〜3章に、イエス様は教会に厳しい指摘をしていますが、主は世の支配者であるとともに、教会のかしらであり、監督者です。今も全知をもって指導されている方です。
このキリストについて黙示録の描写は、もはや十字架につかれた姿ではありません。復活され父の右の座につかれている王としての永遠のさばき主です。
真っ白な髪の毛、燃える火のような目、光り輝く足、大水のとどろきのような声、鋭いもろ刃の突き出た口、顔は太陽に輝いています。
キリストは神として立たれていて、ヨハネは慕いまつる主であるにもかかわらず、倒れ、死人のようになったとあります。

 今、主は人にとって、あわれみ深い救い主です。あわれみとゆるしに満ちています。しかし、再びこの世に来られる主は、威厳に満ち、権威あるさばき主として現れられるのです。罪を持ったままではひとたまりもなく滅ぼされる主なのです。
彼は今、金の燭台と言われる教会の間におられ、手に星を持っているといいます。つまり、ご自分の血で贖いだされた尊い教会を監督され、その牧師たちが教会を正しく導くように指導されているのです。
マタイ25章にあるように、このさばき主キリストを迎えるために、私たちは忠実に信仰生活をしなければなりません。教会が主の教えに忠実であるように、牧師が働き、一人一人は聞き従い、主から褒められる教会を目指さなければなりません。
 
2022年1月30日 説教要旨 最も神聖な信仰の上に
ユダの手紙3〜4節「愛する者たちよ。わたしたちが共にあずかっている救について、あなたがたに書きおくりたいと心から願っていたので、聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦うことを勧めるように、手紙をおくる必要を感じるに至った。そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。」

 聖書には、人類の初めから神の民のうちに不信仰が入り込むことが語られています。そして、ヨハネは教会の初期にも多くの偽教師が入り、イエス・キリストを否定する教えがあることを注意しました。

 私たちはヨハネが言う「ひとたび伝えられた信仰」とはどういうものか?をよく知らなければなりません。それは使徒たちが伝えた聖書の正しい教えです。しかし、この教えが曲げられ、人々を救いから遠ざける不信仰があるのです。

1)救いの信仰
それはイエス・キリストへの真実な信仰です。それによって罪人は救われますが、そのためには心からの悔い改めがなければキリストを主とする信仰は持てません。そして、このキリストへの信仰があって初めてキリストの教えを理解し、実践できるようになります。

2)キリストの教えの信仰
キリストへの真心からの信仰があるとき、信仰者はどんな教えもアーメンと言って従おうとします。キリストに寄りすがって歩む時、神の力に守られ不信仰からも救われます。

 ところが、聖書をよく知ろうとせず、軽率に教えに背くものが多く出て、放縦に歩み、キリストを否定するものが常に起こってきました。彼らの特徴は、

1)キリストへの信仰が明確でない

2)軽率であり、自制せず、利をむさぼり、指導者に攻撃的でした。v.10〜11
彼らについて、ヨハネは「御霊を持たない者」、救われていないといったのです。v.19

 そして、この信仰のために戦い、「神聖な信仰の上に自らを築け上げなさい」と命じます。
私たちはそういう不信仰者に惑わされてはいけません。いつも御旨に従い、祈り、愛を目当てに熱心に生活します。どんな時も永遠の命を信じ、励まされ、迷いの中にある人たちに愛の手を差し伸べます。そして、自分自身はきっぱりと罪を避けるのです。
 
2022年1月2日 説教要旨 神のあかし
ヨハネの第一5章1〜4節「すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである。神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。

 皆様にとって,2022年がより実り多い一年となりますように。主がさばきのためにこの世に来られる時が、また一段と近づいたように考えます。私たちはそのことを心に留め、今の時、主の御旨に一心に従い、神の義の道を歩むことを忠実に努めましょう。

1)神の愛について
信仰者にとって、神様の大きな愛を受けていると信じることは、最も大きな慰めです。それはイエス様を信じることによって知ることです。信仰を持ち、聖書を理解するなら神様の愛を知り、大きさ・深さを知り、その愛に守られている安心が与えられます。

2)神を愛する者は戒めを守る
ヨハネは信仰を持ち、神の愛を知った者は愛する者になると教え、そして、神を愛するとは、その戒めを守ることと話を進めます。戒めについてヨハネは、
ヨハネの第一3章 23節「その戒めというのは、神の子イエス・キリストの御名を信じ、わたしたちに命じられたように、互に愛し合うべきことである。

3)戒めを守る土台は信仰
パウロは信仰から愛が生まれると言います。(1テモテ1:5)ヨハネも
ヨハネの第一3章 23節「その戒めというのは、神の子イエス・キリストの御名を信じ、わたしたちに命じられたように、互に愛し合うべきことである。」
イエス様への信仰が大事なのす。神様はこのイエス・キリストを一番に証しています。9節

4)神の恵みによる信仰生活
3節「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない」真実な信仰を持つなら、誰でもが愛の人になれるのです。

5)永遠のいのちの希望をもって 12〜13節
新しい年、キリストへの信仰が強められ、明確になり、信仰と愛の人となれますように。