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2022年12月4日 説教要旨 エジプトでの10の災害とキリストの救い
出エジプト記5章 1〜2節「その後、モーセとアロンは行ってパロに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒野で、わたしのために祭をさせなさい』と」。パロは言った、「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従ってイスラエルを去らせなければならないのか。わたしは主を知らない。またイスラエルを去らせはしない」。」

 エジプトの奴隷となることは、すでに預言されていて、そこから解放されることも示されていました。そして、その解放者・支配者としてモーセが選ばれ、用いられたのです。彼は神様に命じられ、エジプト王パロの下に行き、主の言葉を伝えますが、パロの答えは罪人の辛辣なものでした。

1)主はといったい何者か?わたしは主を知らない。
私たちは生まれながらに、創造者なる神を知らないのです。ほんの少し敬う心はあるでしょうが、まったく足らず、人は自分を神として、自分の道を進みます。

2)神様の世への介入
聖書は人類への神様からの関わりの書です。人が捜し求めたものではなく、神様が啓示された人への愛の書と言えます。なぜなら、人は「わたしは知らない」と言って、神様を真実に知ろうとしないし、罪のゆえに知り得ないからです。神様が強く介入して下さらなければ、私たちは救われません。

3)エジプトへの10の災害
出エジプトは有名な話ですが、そこには神様が王パロに10度も大きな災害を行っています。そして、その都度、パロは心をかたくなにしたとあるのです。この出来事が私たちに教えることは、
@神様の偉大さを、不信仰な世に示すこと。ローマ9:17〜18
A人の不信仰なかたくなさを示すため。パロは初めはっきりと拒みますが、次に条件を付け、結局最後まで拒絶します。人は信仰を素直に受け入れることに対して、非常にかたくななのです。しかし、その結果、恐ろしいさばきに会うことになることを教えています。

 この10の災害が不信仰のかたくなさに与えられたことは、罪の害悪を教えます。そして、解放者モーセが示すイエス・キリストがこの世に来てくださったのは、その罪の罰をご自身が全て受けて下さるためでした。不信仰な者が仰ぎ見るべきしるしとして、十字架についてくださったのです。その愛の実践により、キリストを信じる者を不信仰から解き放ち、信仰に進ませ、真の自由に歩む者としてくださいました。エジプトの人たちが見た10の災害の代わりに、私たちはキリストを見て救われます。かたくなさを捨て、キリストを信じましょう
2022年11月6日 説教要旨 神と格闘したヤコブ
創世記/ 32章 24〜28節「ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。「ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた。「その人は言った、「夜が明けるからわたしを去らせてください」。ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」。「その人は彼に言った、「あなたの名はなんと言いますか」。彼は答えた、「ヤコブです」。「その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。

 ヤコブは新約聖書にも出てくる信仰の人と言えます。しかし、アブラハムの歩みと比較するとあまりに争いが多く、信仰者の歩みに相応しくは見えません。ヤコブにアブラハムのような信仰の模範を見ることはできないように思えますが、私たちに似た者であることを知る時、親近感と共に模範として見れるのです。

 ヤコブは生まれながらに所有欲の強い人でした。兄に対する対抗心が強く、祝福を独り占めしようとします。そのため、兄と父を欺きました。彼は神様の祝福を大きなものと見ていましたが、神様のお力に対する信仰ではなく、自分の行動によって得ようとしました。

1)祝福を求める彼の模範
彼が模範とされる第一は、神様の祝福を大切にしたことです。彼はそれを得るために、求め続け、どんなこともするほどでした。この求める熱心な姿勢は私たちの模範です。

2)求め方の失敗の模範
しかし、神様への信頼より、自分の考えに従い、その行動は愛の神の御心に背き、神様を悲しませました。結果、彼は悩み、その大きな苦悩により悔い改めます。私たちは神様への強い信頼によって、すべてを主にゆだね、主の聖の御旨に従うことをしなければなりません。

3)神様の介入の模範
このヤコブを神様は強く導かれました。ヤコブの犯した同じ罪を被害者として経験させ、大きな苦悩によって悔い改めに導かれたのです。それが一人の天の使いとの格闘に現れました。彼は格闘の中でも祝福を求め続けましたが、同時に、もものつがいを外され、不自由を与えられました。そして「ヤコブ」ではなく、「イスラエル」(神の王子)の名が与えられたのです。イエス様は信仰によって私たちを救い、主に従っていく中で、より深い悔い改めに導き、私たちを新しい者に成長させてくださいます。神様の恵みを与える介入の模範です。
 2022年10月2日 アブラハムの信仰A
創世記17:1〜21 
 アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、
「わたしは全能の神である。
あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。
わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう」。
アブラムは、ひれ伏した。神はまた彼に言われた、
「わたしはあなたと契約を結ぶ。
あなたは多くの国民の
父となるであろう。
あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、
あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。
わたしはあなたを多くの国民の父とするからである。
わたしはあなたに多くの子孫を得させ、国々の民をあなたから起そう。また、王たちもあなたから出るであろう。 わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなたと後の子孫との神となるであろう。 わたしはあなたと後の子孫とにあなたの宿っているこの地、すなわちカナンの全地を永久の所有として与える。そしてわたしは彼らの神となるであろう」。

 神はまたアブラハムに言われた、「あなたと後の子孫とは共に代々わたしの契約を守らなければならない。あなたがたのうち男子はみな割礼をうけなければならない。これはわたしとあなたがた及び後の子孫との間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである。
あなたがたは前の皮に割礼を受けなければならない。それがわたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなるであろう。 あなたがたのうちの男子はみな代々、家に生れた者も、また異邦人から銀で買い取った、あなたの子孫でない者も、生れて八日目に割礼を受けなければならない。
あなたの家に生れた者も、あなたが銀で買い取った者も必ず割礼を受けなければならない。こうしてわたしの契約はあなたがたの身にあって永遠の契約となるであろう。
割礼を受けない男子、すなわち前の皮を切らない者はわたしの契約を破るゆえ、その人は民のうちから断たれるであろう」。

 神はまたアブラハムに言われた、「あなたの妻サライは、もはや名をサライといわず、名をサラと言いなさい。
わたしは彼女を祝福し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子を授けよう。わたしは彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の王たちが出るであろう」。
アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った、「百歳の者にどうして子が生れよう。サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができようか」。
そしてアブラハムは神に言った、「どうかイシマエルがあなたの前に生きながらえますように」。
神は言われた、「いや、あなたの妻サラはあなたに男の子を産むでしょう。名をイサクと名づけなさい。わたしは彼と契約を立てて、後の子孫のために永遠の契約としよう。
またイシマエルについてはあなたの願いを聞いた。わたしは彼を祝福して多くの子孫を得させ、大いにそれを増すであろう。彼は十二人の君たちを生むであろう。わたしは彼を大いなる国民としよう。
しかしわたしは来年の今ごろサラがあなたに産むイサクと、わたしの契約を立てるであろう」。
2022年9月4日 説教要旨 天国のさいわいを求めて
ヨハネの黙示録/ 22章10〜14節「またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。」

 黙示録最後の説教です。黙示録は終わりの時の患難が主体ですが、最後の2章は新しい天と地、永遠の神の国、天国で完了しています。新約聖書の始まりは「悔い改めよ、天国は近づいた」で始まり、「新しい天と新しい地」の天国の完成で終わるのです。

 イエス様の山上の説教の始まり、八つのさいわい(マタイ5:3〜10)は天国のさいわいを伝えており、たとえ話でイエス様は何度も天国のたとえを語り、それが何よりも素晴らしい人の永遠の所有となることを教えようとしました。

 今、私たちは福音を伝える困難な終わりの時代にあります。人々の神への愛、人への愛は冷え、不安な事案が多く起こっています。この世に対してキリストの福音を伝えることは、その応答の無さのゆえに、教会は落胆し、力がなえてしまいがちです。

 しかし、こういう時にこそ、信仰者は見えないものを注ぎ、永遠への期待と希望をもって力を受けて主に従うときです。想像を絶する天国のさいわいを覚えましょう。誰も人の力によっては受けられない幸いがそこにあります。聖書の信仰者は皆、天国を期待して世の試練を忍び通したのです。
ヘブル 11章 13節「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。」

 私たちの受けている天の国籍、永遠の命は、世にない、何ものよりも素晴らしい賜物です。その地は義が満ち、少しの闇もありません。今は少ししかない真実な愛が、神と共にみちているとところです。
悩みや試練に感じることがあっても、永遠のさいわいを覚え、幸いを求めて、忍耐して信仰に歩みましょう。自分のためでなく、主のため、人の救いのために歩みましょう。
 
2022年8月7日 説教要旨 新しい神の国の完成
 ヨハネの黙示録/ 21章 1〜5節「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。

 黙示録を学び、今まで天変地異、地上の災いを学んできました。最後は多くの人たちが火と硫黄の池に投げ込まれる第二の死がありました。そして、21章に入って、聖書の約束、神の国の到来が書かれています。

1)新しい天と地
この国は今の世界とも千年王国とも違う新しい世界です。千年王国は地上の楽園のようでしたが、完全ではなく、千年の終わりにはサタンと共に多くの人が裁かれました。しかし、この新しい天と地の時には、少しの不安もない、まったく新しい義の国、天国となります。

2)聖なる都、新しいエルサレム
この都を花嫁(9節)と呼んでいますが、その都に聖徒が住んでいるからで、イエス様の約束の完成です。 ヨハネ14章 3節「そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。・・・」

3)救いの完成 3,4,7節
地上で罪の災いに苦しむ私たちには、その神の国は最も幸いな救いの場です。罪による災いがないだけでなく、聖・義・愛なる永遠の神様と一つとなる時です。キリストによってあたらしくされた私たちに最高の喜び、永遠の始まりです。

 しかし、21・22章で三度もこの国に入れない第二の死に会う人々の警告があります。不信仰、罪の解決のない人々が永遠の地獄に入る決定の時でもあるのです。この世は神様による生を受けた者への救いのテストのようです。勝利を得るため、自分の罪を認め、悔い改めてあたらしく生まれ変わることを強く願わなければなりません。神の国に入るために。
 
2022年7月3日 説教要旨 神の確かな支配
ヨハネの黙示録17章16〜17節「あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。神は、御言が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨を行い、思いをひとつにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。」

 世の終わりに向けて自然界はうめき声をあげています。気象、地震・・・また人間界でも軋み音が聞こえます。戦争、混乱・・・そして、すべては御旨に従い終わりに向かっています。黙示録16章では神の最後の激しい怒りの鉢が傾けられ、もはや地上に人は住めなくなり、人の世界では大戦争の準備がされています。

 17章に入って、神様は背く大淫婦へのさばきに言及します。まず悪へのさばきの最初として、宗教組織に向けられるのです。その様子が書かれています。

1)大淫婦
歴史の初めからサタンは人と共に支配を固め、そのために宗教を用いようとしました。創世記10、11章に最初の支配者ニムロデは天にとどく塔、バベル(ギリシャ語読みバビロン)を建てようとします。この行為は、今後の帝国にいつも見られ、彼の行為が淫婦の母と呼ばれました。そして、終わりの時、同じように帝国と手を結ぶ大きな宗教組織が生まれるのです。世は宗教の一致に向かっていますが注意が必要です。

2)七つの頭と十の角を持つ獣
終わりの時の帝国です。この説明を7〜13節にあります。五つまではヨハネ前の帝国、六つ目は当時のローマ帝国、そして、終わりの時に七つ目の帝国ができるのです。この帝国は初め大淫婦とつながっていますが、患難時代中ほどで大淫婦を滅ぼし、新しく13章に出てくる偽預言者が現れ、獣と龍を拝ませる新しい帝国、第八の帝国が生まれます。(11節)

3)帝国と宗教の融合
世の初めからサタンは国と宗教を一つとして世を支配しようとしました。それを獣に乗った大淫婦として示されています。その代表はローマ帝国とカソリックです。

 しかし、上記聖句は主の御旨、大淫婦のさばきのために、悪しき者の心に働き成し遂げることが書かれています。どんな混とんとして世界になっても、主は御旨をなすために、すべてへのご支配を働かせます。そしてキリストの勝利として完結します。私たちはこの確かなご支配のお力を信じ、これからの混乱の中でも、神に信頼し、正しくに生きましょう。
 
2022年6月5日 説教要旨 大きな苦しみと救い
ヨハネ黙示録13章8〜10節「地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。耳のある者は、聞くがよい。とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。」

 キリストが再び現れるときには、地上が恐ろしい世界となると予言されています。その終わりの時には、悪魔と独裁者と偽預言者が結託して、地上の人々を惑わし、支配し、苦しめるのです。その時、キリストに忠実であろうとする者は殉教するとあります。 最も災いなのは、獣に服従して、聖徒を迫害する民衆です。彼らは地上の大きな苦しみと共に永遠の滅びを受けます。

<大きな苦しみ>とは、地上の災いと圧政の中に生きることであり、永遠の滅びです。
地上は悪魔の支配のもとで、ほとんどの人は惑わされ、偽預言者を信じ、独裁者に従います。彼らはキリストではなく、悪魔を選びます。イエス様は言われました。
マタイ 25章 32〜33節「そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。」

人々は悪魔かキリストかを自身で選び、分けられます。この時の圧政によって地上に選別が明らかにされます。

1)主の守りがなければ、惑わされる。
8節に、惑わされないためには、「小羊のいのちの書に名が」なければならないとあります。イエス様を信じ、彼につながっている者は、獣を拝まないのです。信仰により、イエス様が守られて、惑わされることがないのです[k1] 。

2)聖徒たちの忍耐と信仰
信仰は主につながっておる忍耐を教え、それで十分に心は満たされます。

3)惑わされないために
イエス様は マタイ12章 39節「邪悪で不義な時代は、しるしを求める」といわれました。私たちはもう見えるもの、奇跡的なことを重要視してはいけません。キリストだけで十分でなければなりません。真実な信仰は十分に私たちを満たしてくれます。
想像を絶する大きな苦しみが訪れます。その時、私たちを救うのはキリストとその信仰です。この方による以外に、大きな苦しみからの救いはありません。
2022年5月1日 説教要旨 神の怒り 地の恵みの喪失と感謝
ヨハネの黙示録8章1〜13節「小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった。それからわたしは、神のみまえに立っている七人の御使を見た。そして、七つのラッパが彼らに与えられた。また、別の御使が出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。香の煙は、御使の手から、聖徒たちの祈と共に神のみまえに立ちのぼった。御使はその香炉をとり、これに祭壇の火を満たして、地に投げつけた。すると、多くの雷鳴と、もろもろの声と、いなずまと、地震とが起った。そこで、七つのラッパを持っている七人の御使が、それを吹く用意をした。」

 子羊が巻物の七つの封を解いていきます。この巻物は地に対する小羊の権利書という解釈があり、封が解かれるによって開かれるのです。そして第七の封が解かれると、聖徒の祈りに香が加えられ、地に投げつけられ、七つのラッパが吹かれます。

 この8章では、第一から第四までのラッパが吹かれることについて言及されている。

1)聖徒の祈りに答える神の怒り
ラッパの災いは、今までに聖徒の受けた怒りに対する神様の応答のようです。
黙示録6:9〜10,ローマ12:19〜20 神様はここで約束通り、聖徒に対する悪行の報復をされるのです。神様ご自身の怒りは後に神の怒りの鉢を注ぐことによりなされます。

2)恵みの喪失
ここでの災いは地と海から恵みを三分の一取り去り、天の光の三分の一奪うことでした。人々は大混乱です。生活物資の奪い合いが起こり、人々は恐れ、心は打ち萎れることでしょう。今まで普通のものと思っていたものがなくなるのです。この時、人々は神様の恵みを失い、初めて恵みの大きさを知ることでしょう。

2)私たちは恵みの中に生かされている
地球は驚くべき恵みの産物です。奇跡のオンパレードで、世の人は神秘と呼んできました。光・温度、水、空気、食物、色、景色・・・これらは当たり前のものですが、しかし、決して当たり前にあるものではなく、不思議な神様の恵みなのです。それを取り去られたとき、人は初めてその大きさに気付きます。
私たちは神の恵みを知り、感謝すべきです。そして何よりもイエス・キリストによる救いの恵みを知り、喜び・感謝し、永遠の望みを持つことを神様が喜ばれるのです。
2022年4月3日説教要旨 神に栄光を帰す
ヨハネ黙示録4章9〜11節「これらの生き物が、御座にいまし、かつ、世々限りなく生きておられるかたに、栄光とほまれとを帰し、また、感謝をささげている時、二十四人の長老は、御座にいますかたのみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った、「われらの主なる神よ、/あなたこそは、/栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、/また造られたのであります」。」
 この世において不信仰は常態化し、神に栄光を帰すことはありません。人は世を愛し、自分を喜ばせることのために生きています。しかし、この態度は世の終わりには神様の恐ろしいさばきに人を直面させるのです。黙示録4章からは、この恐ろしいさばきのいかに熾烈であるかを教えています。その最初の章である4章は、神様の栄光、人知を越した天の光景が描かれており、そこには4つの生き物、24人の長老たちがいます。
 彼らは神に栄光帰すことをしています。
イザヤ書/ 43章 07節「すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、/これを造り、これを仕立てた」
この主の御心が天では成就しています。
 この主の栄光を賛美している24人の長老は、信仰の歩みに勝利した教会の代表者です。彼らは信仰によって忠実に義に歩み勝利したため、白い衣を着て、金の冠を冠り、天の座につけられていました。
彼らの行動が彼らの変えられた心をあらわしています。
「御座にいますかたのみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った」
彼らは単に言葉でほめたたえるだけでなく、「彼らの冠」を投げ出したとあります。この冠は彼らの忍耐による信仰の勝利の冠でしたが、それを進んで放棄し、主に栄光を帰しました。
彼らの心が全く自分ではなく主に栄光を帰すものと変えられていたのです。
 キリストへの信仰はその人の心を全く新しくします。以前は自己愛と自己義認の罪人でしたが、キリストによって悔い改め、罪の思いを捨て、神の栄光をほめたたえる者と変えられたのです。 これはキリストの流された血、その愛により、信仰によって新しくされたからです。自分を捨て、神に栄光を帰す心を受けましょう。
2022年3月6日 説教要旨 信仰者の持っているもの
ヨハネの黙示録2章 18〜21節「テアテラにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる。わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。』

 キリストは「『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子』と、ご自分をその目は鋭く一切を見定め、悪を追い出される神として言われます。
@イエス様は真実を知られ、ほめられます。テアテラの教会は
「あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている」これほどの賛辞は最高の喜びです。
私たちもこのように褒められる者となることを目指します。
A罪を指摘します。
女預言者というイゼベルの罪です。彼女は教えと不品行を教会に持ち込みました。悔い改めの機会を与えられても悔い改めないので、彼女は大きな患難の中に投げ入れられ、従おうとする者を撃ち殺すと警告しました。

 すべての人に神様は悔い改める機会を与えられます。世の様々な苦難はそのためにあるか考えるべきです。苦しみを自分の原因の問題としてとらえ、生き方を変える決心をしてキリストの下に行きましょう。するとすべてが根本的に解決されます。
マタイ 11章 28〜29節「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。」

 そして、キリストを主とあがめ、忠実に従うとき、救われた者の新しい生活を経験します。正しくさばかれる主にほめられ、平安の生活があります。イエス様は
25節「ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。」
イエス様は信仰と忠実な歩みを求めています。罪を嫌い、離れ、罪に注意深く、信仰と愛を求めて歩みましょう。
 
2022年2月6日 説教要旨 イエス・キリストの黙示
ヨハネの黙示録1章 1〜3節「イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。

 ヨハネの黙示録の初めに、「イエス・キリストの黙示」と書き出されています。この書は父なる神が未来に起こることをキリストに与え、キリストがみ使いを遣わしヨハネに伝えたものです。神の御子イエス様は父をあらわし、父の御旨を私たちに伝え、実現のための御業を成就して下さった方、現在も未来にも成就して下さる方です。

 特に、黙示録においては神様のさばき、報いに焦点が当てられています。初め2〜3章に、イエス様は教会に厳しい指摘をしていますが、主は世の支配者であるとともに、教会のかしらであり、監督者です。今も全知をもって指導されている方です。
このキリストについて黙示録の描写は、もはや十字架につかれた姿ではありません。復活され父の右の座につかれている王としての永遠のさばき主です。
真っ白な髪の毛、燃える火のような目、光り輝く足、大水のとどろきのような声、鋭いもろ刃の突き出た口、顔は太陽に輝いています。
キリストは神として立たれていて、ヨハネは慕いまつる主であるにもかかわらず、倒れ、死人のようになったとあります。

 今、主は人にとって、あわれみ深い救い主です。あわれみとゆるしに満ちています。しかし、再びこの世に来られる主は、威厳に満ち、権威あるさばき主として現れられるのです。罪を持ったままではひとたまりもなく滅ぼされる主なのです。
彼は今、金の燭台と言われる教会の間におられ、手に星を持っているといいます。つまり、ご自分の血で贖いだされた尊い教会を監督され、その牧師たちが教会を正しく導くように指導されているのです。
マタイ25章にあるように、このさばき主キリストを迎えるために、私たちは忠実に信仰生活をしなければなりません。教会が主の教えに忠実であるように、牧師が働き、一人一人は聞き従い、主から褒められる教会を目指さなければなりません。
 
2022年1月30日 説教要旨 最も神聖な信仰の上に
ユダの手紙3〜4節「愛する者たちよ。わたしたちが共にあずかっている救について、あなたがたに書きおくりたいと心から願っていたので、聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦うことを勧めるように、手紙をおくる必要を感じるに至った。そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。」

 聖書には、人類の初めから神の民のうちに不信仰が入り込むことが語られています。そして、ヨハネは教会の初期にも多くの偽教師が入り、イエス・キリストを否定する教えがあることを注意しました。

 私たちはヨハネが言う「ひとたび伝えられた信仰」とはどういうものか?をよく知らなければなりません。それは使徒たちが伝えた聖書の正しい教えです。しかし、この教えが曲げられ、人々を救いから遠ざける不信仰があるのです。

1)救いの信仰
それはイエス・キリストへの真実な信仰です。それによって罪人は救われますが、そのためには心からの悔い改めがなければキリストを主とする信仰は持てません。そして、このキリストへの信仰があって初めてキリストの教えを理解し、実践できるようになります。

2)キリストの教えの信仰
キリストへの真心からの信仰があるとき、信仰者はどんな教えもアーメンと言って従おうとします。キリストに寄りすがって歩む時、神の力に守られ不信仰からも救われます。

 ところが、聖書をよく知ろうとせず、軽率に教えに背くものが多く出て、放縦に歩み、キリストを否定するものが常に起こってきました。彼らの特徴は、

1)キリストへの信仰が明確でない

2)軽率であり、自制せず、利をむさぼり、指導者に攻撃的でした。v.10〜11
彼らについて、ヨハネは「御霊を持たない者」、救われていないといったのです。v.19

 そして、この信仰のために戦い、「神聖な信仰の上に自らを築け上げなさい」と命じます。
私たちはそういう不信仰者に惑わされてはいけません。いつも御旨に従い、祈り、愛を目当てに熱心に生活します。どんな時も永遠の命を信じ、励まされ、迷いの中にある人たちに愛の手を差し伸べます。そして、自分自身はきっぱりと罪を避けるのです。
 
2022年1月2日 説教要旨 神のあかし
ヨハネの第一5章1〜4節「すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである。神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。

 皆様にとって,2022年がより実り多い一年となりますように。主がさばきのためにこの世に来られる時が、また一段と近づいたように考えます。私たちはそのことを心に留め、今の時、主の御旨に一心に従い、神の義の道を歩むことを忠実に努めましょう。

1)神の愛について
信仰者にとって、神様の大きな愛を受けていると信じることは、最も大きな慰めです。それはイエス様を信じることによって知ることです。信仰を持ち、聖書を理解するなら神様の愛を知り、大きさ・深さを知り、その愛に守られている安心が与えられます。

2)神を愛する者は戒めを守る
ヨハネは信仰を持ち、神の愛を知った者は愛する者になると教え、そして、神を愛するとは、その戒めを守ることと話を進めます。戒めについてヨハネは、
ヨハネの第一3章 23節「その戒めというのは、神の子イエス・キリストの御名を信じ、わたしたちに命じられたように、互に愛し合うべきことである。

3)戒めを守る土台は信仰
パウロは信仰から愛が生まれると言います。(1テモテ1:5)ヨハネも
ヨハネの第一3章 23節「その戒めというのは、神の子イエス・キリストの御名を信じ、わたしたちに命じられたように、互に愛し合うべきことである。」
イエス様への信仰が大事なのす。神様はこのイエス・キリストを一番に証しています。9節

4)神の恵みによる信仰生活
3節「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない」真実な信仰を持つなら、誰でもが愛の人になれるのです。

5)永遠のいのちの希望をもって 12〜13節
新しい年、キリストへの信仰が強められ、明確になり、信仰と愛の人となれますように。