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2021年12月19日説教要旨 クリスマス 神様からの愛の贈り物
ヨハネの第一の手紙4章7〜9節「愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。愛さない者は、神を知らない。神は愛である。神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。

 クリスマス、それは私たちの救い主イエス・キリストがお生まれになったことをお祝いする日です。世界中に広まっていますが、どれほどの人がその真実を知っているでしょう?

1)聖書の預言に従って生まれられた
キリストは突然に現れたのではなく、聖書の明確な預言に従って、人としてこの世に生まれられました。イエス・キリストは神が人として生まれられたのです。

2)人の大きな喜びとして生まれられた
夜番をする羊飼いに、驚く光の中、天使は次のように言いました。
ルカ2章 10節「御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。」 罪を赦し、永遠のいのちを与える救い主として生まれたのです。

3)神の愛が明らかにされました
1ヨハネ4章9節「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
聖書は私たちにどれほど神様が愛しているかと言う告白の書です。そして、それは神の御子が人としてこの世に現れ、人の罪の身代わりに十字架で死なれたことによって明らかになりました。

4)愛の尊さ
聖書が教える愛は、世にある愛というものとは違います。愛は神から出た者と教え、キリストに見る愛です。1コリント13章では、イエス様の様に自分を捨て、人の救いのための犠牲を伴う愛です。しかも、信仰があり、忍耐がある強いものと言います。

5)神の愛を信じ、イエス様を主と告白しましょう
私たちが神の愛を求め、キリストを信じるなら、私たちは神様から出ている新しい恵みを受けます。罪の赦し、永遠のいのち、神の国の祝福・・・クリスマス、キリストを信じて新しい神様の祝福を経験してください。
2021年12月12日説教要旨 神様から出たもの
ヨハネの第一の手紙4章1〜3節「愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。

 私たちは聖書から神様の教えを学んでいます。また、色々な書物から、人から聖書の教えとして学ぶ機会も多いです。その時、ヨハネは霊を見わけ、注意しなさいと命じます。多くの宗教は聖書からの引用し、聖書からの教えとして語っています。しかし、それが神様から出たものであるか吟味しなければなりません。
最も重要な点はイエス・キリストを正しく告白することです。
ヨハネは、福音書でもこの第一の手紙でも、明確にイエス様は神様であり人となられた救い主であると告白しています。
ペテロも人として前に立つイエス様に対して神の子と告白しました。
マタイ16章 15〜17節「そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。」」
私たちの信仰告白はイエス様に対して人となられた神様であることです。そして罪からの救いの業をなし終えられたので、イエス様を主と告白する時、私たちは救われるのです。

 世のいっさいの物は神様から出たものです。しかし、一切は罪に汚され、多くの人の心から真実な信仰は消えてしまいました。
しかし、人は世に来られ、十字で死なれたイエス様を信じることにより罪がゆるされ、清められ、神の子として神から出た者として恵みの中に入れられるようにされたのです。信仰により罪がゆるされ、神様から出た者とされました。私たちに最も重要な態度は、このイエス様への信仰、このイエス様への従順です。

 クリスマス、それは神様がこの世に人としてお生まれになったことをお祝いする日です。そして私たちもこのイエス様を信じて、神様から出た者として生まれ変わり、イエス様中心の新しい歩みに入れられました。心から主イエス様に従い、神様に感謝します。
2021年12月5日説教要旨 人の内に生まれる神の愛
ヨハネの第一の手紙3章 16〜19節「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。それによって、わたしたちが真理から出たものであることがわかる。そして、神のみまえに心を安んじていよう。」

 私は以前、生きていることが空しく、何を目的にして、何を生きがいにして良いのかわからなくなっていました。そんな時、教会に出向き、イエス様を信じたのです。
信仰をもって聖書を神の言葉として学ぶとき、第一に驚いたのは神様の愛でした。神様の全能、全知、すべてに完全な方であることに驚いたのですが、同時に、神様が私たちを深く愛して下さっていること知りました。それはこの世にない深い愛、神の御子イエス・キリストが私たちの罪の身代わりに死んでくださるほどの愛でした。

 そして後に教えられたことは、神様は私たちにも同じ愛を持つように願われていて、それに近づくことが出来ると言うことです。次の三つを教えて下さっています。

1)私たちは罪深く、愛のない者である。
私たちは罪人であって、愛のない者であり、全く新しい者に変えられる必要があると言うことです。世の人の悲しみはすべてそこに原因があります。

2)信仰と従順により新しい性質に変えられる。
イエス様への信仰と従順こそ、私たちをキリストに似た新しい性質を受ける唯一の道です。

3)神の愛を内に受ける
キリストへの従順は必ずその人を新しくし、神の愛を受けるようにします。だから、17節
「どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。」と言う言葉になるのです。信仰者の第一の特徴は、兄弟愛、愛があることです。

 世の虚しさから救われ、信仰者とされた者には豊かな恵みがあります。@信仰により主の平安があり、A祈りの力が与えられ、B主の愛を内に受けます。その愛から戒めを守り、誠実に世を生きる恵みが与えられています。私たちは信仰により、神の愛を受け、イエス様のように愛に根ざした、良心的な生活が出来るようにされています。感謝です。
2021年11月28日 説教要旨 神の子と呼ばれることについて
 ヨハネの第一の手紙3章1〜3節「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。節愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。」
 
 聖書は、信仰者は神の子と呼ばれるとあります。呼ばれるだけでなく、神の子なのであると言います。イエス様は「生ける神の子」と言われ、私たちの場合は、常に神の子たち、複数形で語られています。決して同じではありません。なぜなら、イエス様は万物の創造者であり、裁き主、贖い主ですから、私たちにはそのような資質はないのです。けれでも、神様は人に神の子の立場を与えると言ってくださっているのです。

 ヨハネはその為に、「どんなに大きな愛を父から賜ったことか」と、父なる神は、大きな愛の犠牲を払われていることを言います。
世の中に多くのクリスチャンと呼ばれる人がいます。神様はすべての人が救われることを願われていますが、その為にイエス様が人となってこの世に現れて下さいました。そして、神の小羊として聖い犠牲として十字架に命を捨て、血を流して下さったのです。それは人類の罪の身代わりであり、復活のキリストへの信仰により、罪の赦しと清め、そして救いとして、神の子の特権を与えて下さったのです。

 その理由を聖書は神の愛と言います。神様は無条件で愛の方、また聖なる方で、私たちを救い、神の子として真の愛の交わりに招いて下さっています。
その完成について、聖書は再びイエス様がこの世にあらわれるときと教えます。その時、世は裁かれ、神の子は救われます。イエス様が示された終わりの時の前兆は今非常に明瞭に現れているように思います。

 罪を悔い改め、イエス様を信じた私たちは、恵みにより、再びイエス様にお会いし、その時完全に新しい姿に変えられる望みを持ちます。その望みにより、新しい心と共に、聖霊様のお働きにより、私たちを自ら清くなろうと願わせ、努力させるのです。神の子とは、神様からの救われた立場と共に、忠実に主に従う意思に満たされた信仰者です。
2021年11月21日 説教要旨 主キリストにとどまる
ヨハネ第一2章28〜29節「そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。彼の義なるかたであることがわかれば、義を行う者はみな彼から生れたものであることを、知るであろう。」

 信仰者生活とはキリストの内にとどまることです。そのために、まずキリストの内に入れてもらわなければなりません。イエス様は私たちのために十字架で死なれました。そして、よみがえり私たちの希望を与えて下さったのです。私たちに求められることは、罪の悔い改めと、キリストへの信仰です。信仰とは、イエス様こそ、「生ける神の子キリスト」と信じ、自分の主と告白することです。その時、罪から救われ、キリストの内、永遠の守りの中に入れられます。これが福音の救いです。

 そして、信仰生活とはキリストの内にとどまり続けることです。真実な信仰があれば、何重もの主の守りの中に入れられ、その道を歩み続けられます。
しかし、この交わりから離れて行く人がいます。ヨハネはその人について19節「元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである」と言いました。結局は初めの真実な信仰の問題なのです。私たちは自分を吟味しなければなりません。真実にキリストを主としているか、信仰はあるか?です。

 終わりの時にはキリストを否定する教えが多く起こると教えます。22〜23節
それは罪と悪魔の攻撃です。しかし、その試練の中にも救いを全うするため、初めから聞いたことにとどまるように教えます。24節 それは使徒の教えであり、聖書です。

 キリストにとどまる時、信仰者は成長します。内におられる聖霊様が真理を教え、悟りを与え、心を新しくして下さるのです。20節、27節
私たちがキリストにとどまり、キリストの教えに忠実であるなら、教会の中で教えを受け、聖書を読み、その時、聖霊様は真理を悟らせてくださいます。信仰者の成長は、その人自身の真実な歩みによるのです。1コリント3:6

 キリストにとどまり続ける時、その人は神を知ります。義なる方、愛の方として悟り、彼自身、更に彼に忠実になり、自分自身が彼から出ていることを悟るのです。そして、キリストが再びこの世にあらわれる時、確信を持ち、大きな喜びでお迎えできるのです。28〜29節 罪を悔い改め、キリストにとどまることに熱心でありましょう。
2021年5月2日説教要旨 メルキゼデクに等しい大祭司
へブル7章17〜19節「それについては、聖書に「あなたこそは、永遠に、メルキゼデクに等しい祭司である」とあかしされている。このようにして、一方では、前の戒めが弱くかつ無益であったために無効になると共に、(律法は、何事をも全うし得なかったからである)、他方では、さらにすぐれた望みが現れてきて、わたしたちを神に近づかせるのである。」

 へブルの著者は、キリストはメルキゼデクに等しい祭司であることを強く伝えます。
それは、彼が人類の大祭司であることと共に、特別な大祭司、永遠で完全な方であることを伝えようとしているのです。
まず十分の一の捧げものから、メルキゼデクはアブラハムから十分の一を受けて、彼を祝福した時、アブラハムの子孫である?ビ人祭司たちも彼に十分の一をささげたと結論します。ここから、メルキゼデクはアブラハムを含め、地上の祭司たちよりも偉大な方で、また、律法の中にはなく、有限な人の祭司ではないと言うのです。

 神様は初めの時から、このメルキゼデクに等しい祭司をご計画され、律法によらず、人の系図によらず、神の御子イエス・キリストを立てて、人類の大祭司とされたことを教え、誓われたのです。
へブル7:28「律法は、弱さを身に負う人間を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に全うされた御子を立てて、大祭司とされたのである。」
@キリストは私たちにとって、神に近づき、神を知る唯一の望みです。(へブル7:19)
A彼は私たちに必要な相応しい永遠の大祭司として天に君臨されています。(へブル7:26)

だから、次のように勧めます。
ヘブル7章 25〜26節「そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。」
私たちに大祭司の働きを完成させたイエス・キリストが天におられます。私たちをいつも見守り、祈りに耳を傾け、必要のとりなしをして下さる愛に満ちた主です。
だから、いつも天の大祭司なるキリストを思い(へブル3:1)、信仰を守り(へぶりゅ4:14)、その恵みの御座に近づくこと(へブル4:16)を心がけましょう

 私たちにイエス様は救い主です。ユダヤ人クリスチャンに著者はメルキゼデクに等しい永遠の大祭司として伝えます。彼は人として罪の贖いをご自身のいのちをもって完成させ、今、天において救いを与えるために招いておられます。唯一の永遠の望みとして。
2021年4月4日 説教要旨 キリストの復活と新しい生活
 コリント人への第一の手紙 15章 19〜22節「もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。」 

 私たちの主であられるイエス様について、彼の十字架の死と復活は最も重要な福音の中心にあるとパウロは言います。そして、この福音に忠実であるなら、その人には新しい恵みの信仰生活があります。
ローマ人への手紙6章5節「もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。」
その恵みとは、よみがえられたキリストと同じ祝福にいられるのです。それはキリストと同じ性質、心、行動へと変えられていく恵みであり待遇です。

 しかし、キリストに等しくなるため、罪人のわたしたちに明確な条件が書かれています。
「彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら」です。

1)彼に結びついていなければなりません。
それはイエス様への信仰の告白であり、忠実さです。愛する主としていつも思う信仰です。

2)その死の様にひとしくなるなら
キリストの死は一切を十字架につけました。私たちも自分の一切、古い自分、自我を十字架につけて死ぬことは新しく生きるための条件です。

3)復活の様にもひとしくなる
キリストの復活は罪の代価を払い終えた、束縛のない自由への復活です。その自由は神様の自由で、永遠の朽ちないものでした。私たちも自分を捨て、キリストにあって生きるなら、新しい自由、心において、生活において、行動において、罪に支配されないキリストに似た者とされ、真の自由の中に生きるのです。

 兄弟姉妹、私たちは信じ、忠実に御言葉に従い、キリストを前にキリストにあって生きましょう。天の栄光を望み、地にあっても愛する主の僕として、自分を捨て御言葉に従いましょう。主を喜ばせ、周りの人への復活の証人となるなら幸いです。
2021年3月7日 説教要旨 説教題:愛の信仰生活
 ピレモンへの手紙4〜7節「わたしは、祈の時にあなたをおぼえて、いつもわたしの神に感謝している。それは、主イエスに対し、また、すべての聖徒に対するあなたの愛と信仰とについて、聞いているからである。どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになってほしい。 兄弟よ。わたしは、あなたの愛によって多くの喜びと慰めとを与えられた。聖徒たちの心が、あなたによって力づけられたからである。」

 ピレモンへ手紙は、コロサイ人への手紙と共にパウロからコロサイの教会に送られたものです。ピレモンはパウロによって信仰に導かれ、非常に信仰的に歩み、愛の実践がなされていました。オネシモは彼の奴隷であったのですが、主人の金銭を盗み出し、ローマに逃亡したところで、ピレモンと同じくパウロによって信仰に導かれました。オネシモはすべてをパウロに伝え、パウロは彼が成長した段階で、コロサイのピレモンに送り返すためにこの手紙を書いたのです。この手紙を通して教えられることは、信仰者の様々な障害を飛び越える愛の交わりです。教会は世に対して、キリストによるすべての人の救い、すべての人を喜ばせる新しい愛の交わりがあることを伝えるべきところです。

1)新しい創造から (ガラテヤ6章 15節)
全てを乗り越える愛の交わりは、キリストを信じ、新しく生まれ変わることからです。教会の愛の交わりは、明確な罪の悔い改め、明確な信仰、明確な教えへの従順が必要です。

2)イエス様は全ての中垣は取り除かれました
エペソ2章16節「二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。」

3)信頼が生まれる
パウロ、ピレモン、オネシモには、信仰から出た愛の信頼関係があります。主にあって同じ心を持っているのです。(ピレモン12節)だから、パウロは大胆にピレモンに要求します。

4)世への証
6節「どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになってほしい。」
信仰者は主イエス様により大きな恵みの中に入れられています。信仰によりその恵みを豊かに受けて生活し、その良いわざが世に知られ、キリストが伝えられることを願うのです。
2021年2月7日説教要旨  御言葉を宣べ伝える
テモテへの第二4章1〜7節「神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。」

 私たちは今、信仰により尊い恵みの中にあります。全ては朽ち果てる虚しさの中にある者と思っていたのですが、イエス・キリストに出会い、御言葉によって真の神様を知り、救いを受け、真理の恵みを受けたのです。

 その恵みは全てイエス・キリストにより、その御言葉、聖書によったのです。
聖書があって、私たちは神様、そのご計画、御旨をより深く知るものとされているのです。その恵みが本当に人に必要で、どれほど価値があるかパウロは知っているので、テモテに御言葉をどんな状況でも宣べ伝えることを命じました。

 その恵みは、御言葉を余すところなくすべて伝えることによって与えられるので、自分勝手に都合よく解釈せずに、真理をありのままに伝えることを命じるのです。
この働きは信仰者すべてに命じられています。
それぞれに立場は違っても、言葉と行動に現わすよう努力しましょう。
大事なことは、自分がまず御言葉の恵みにあずかることであります。御言葉を重要に考え、理解し、実践を通して自分自身が新しく変えられることです。
テモテへの第二3章 17節「それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。」
聖書はその時、いつも主と共におられ、励まし、力づけ、成し遂げて下さると教えています。

 主はあなたに豊かな祝福を用意されています。主に忠実に従い、主が再び来られるのを待ち望みましょう。その時、あなたは「よくやった忠実な僕」と呼ばれ、義の冠を頭に載せていただけるとあります。御言葉を宣べ伝えることを心にいつも持っていましょう。
2021年1月10日の説教要旨  信仰者が求めるべきもの
テモテへの第一の手紙6章6〜7、11節「しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く」「11節 しかし、神の人よ。あなたはこれらの事を避けなさい。そして、義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。」

 私たちが信仰の道を迷うことなく、恵みを知る生活をするためには、聖書の教え全体を知り、主の御心を理解して、生活にその教えの実践を求めていかなければなりません。3〜5節には、教えに同意せず、道を踏み外す者の例を挙げています。

1)御言葉をすなおに受け入れる
ヤコブ1章 21節「心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。」
 イエス様を主と告白する者として、聖書の教えをすべて素直に心に受け入れなければなりません。それはその意味することを熱心に学ぼうとすることであり、理解したなら従おうとすることです。それが信仰者第一の、安心できる信仰態度です。

2)健全な主の教え
しかし、ここにはこの教えに同意しない人がいるとあります。3〜5節 聖書の教えは信仰と愛の教えと要約できます。そこから生活の中の戒めが出てきますが、この実践の時、明確な悔い改めと信仰の決心が出来ていない人は同意したがらないのです。そして、拒み、勝手な解釈をして真理の道を踏み外します。

@神の愛の教え 11節
多くの人は世のものを愛し、金銭を愛して、主の教えに背きます。自分のこの思い、感情は十字架につけて、キリストの愛を求め、信仰により愛の実践を生活の中に入れることを求めましょう。

A自分の立場・状況を受け入れる 1〜2節
聖書は、私たちは皆、神様のご計画の中に置かれていると教えます。今与えられている状況で主に従うことを見られています。状況を受け入れ、常に神様の善を求めましょう。

3)平安な信仰生活を目指す。

@議論は避けましょう。20〜21節

A今の生活に満足しましょう。6〜8節

B主に望みを持っていましょう。17〜19節