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2024年12月1 日説教要旨 災いを恐れない信仰
詩篇34篇7〜9節「主の使は主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる。 主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。 主の聖徒よ、主を恐れよ、主を恐れる者には乏しいことがないからである。

 ダビデは油注がれ、主に王として選ばれます。主のご計画が進み、神の霊により与えられた賜物が用いられ、サウルのそばに仕えるようになります。さらに、イスラエル兵が恐れて尻込みする中、ペリシテ軍の巨人ゴリアテの挑戦に発奮し、主の名によって戦い打ち破り、首を切り取るのです。結果、イスラエルは大勝利、ダビデは英雄となり、王となる一歩を踏み出すのです。

 ダビデのゴリアテを恐れない勇気はどこからきたのか?彼は人が陥る世の恐れすべてに勝利しています。社会には次の恐れがあります。

1)人を恐れる。彼は絶対的な力を誇示する巨人ゴリアテを恐れませんでした。

2)失敗を恐れる。彼は主の名によって必ず勝利すると失敗を恐れませんでした。

3)死を恐れる。彼は死を恐れることなく戦いました。
彼にはこれらに勝利している信仰心がありました。それが「主を恐れる」こと。私たちはこの信仰を主に教えていただきたいのです。
詩篇34篇 11節「子らよ、来てわたしに聞け、わたしは主を恐るべきことをあなたがたに教えよう。

 「主を恐れる」とはどういうことでしょうか?
世の恐れが人の心に入った始まりは、アダムとエバからです。
創世記3章 10節「彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。」
恐れは罪から始まり、全き信仰を失ったことによります。これが世のものを恐れる始まりで、主を恐れ、敬うことではありません。
主を恐れるとは、神様への畏敬の心です。神の偉大さを認識し、尊敬している従順な心で、その心があるため主の戒めをも喜ぶのです。

 正しく主を恐れる時、人は世の恐れから全く解放され、主の戒めを喜び、自発的に従うダビデのような心が与えられます。私たちがさらに一歩信仰の成長を願うとき、それは主をまごころから恐れる心を持つことです。
2024年11月3日 説教要旨 預言者サムエルの誕生
サムエル記上3章 19〜21節「19節サムエルは育っていった。主が彼と共におられて、その言葉を一つも地に落ちないようにされたので、ダンからベエルシバまで、イスラエルのすべての人は、サムエルが主の預言者と定められたことを知った。主はふたたびシロで現れられた。すなわち主はシロで、主の言葉によって、サムエルに自らを現された。こうしてサムエルの言葉は、あまねくイスラエルの人々に及んだ。

 士師記、そしてサムエル記の学びを通して、人は放っておくと罪に落ちてしまい、救われることができない罪人であることを強く教えられます。何度失敗しても悔い改めることをせず、何度もゆるされても同じことを繰りかえす、犬は吐いたものに、豚は泥に転ぶように、人の罪の性質は根深いのです。

 そういうイスラエルに、神様はサムエルを生まれさせ、彼らを再び信仰に立ち帰るように働かれます。その時、サムエルの母として不妊のハンナが用いられます。すべての人の心を知られる主は、ご自身の器として最適な人を選ばれ、彼女が喜び、民が喜ぶようにされるのです。ハンナの泣きはらす祈りに、主は答え、男の子を与えます。ハンナは祈りの中で生まれたなら主に捧げる(ナジル人)ことを誓い、そのようになり、彼は大祭司エリの元に幼少から仕え始めます。ハンナの誠実さを思いますし、サムエル自身が聖霊に満たされて生まれ、主に仕えることができたのだと理解するのです。バプテスマのヨハネに似ています。

 サムエルは成長し、聖霊が共におられ、主の声を聞き、預言者としての一歩が始まります。彼はさらに成長し、上記聖句のようにイスラエルの民すべてに預言者として主に定められ、全国の民に伝わります。

1)ハンナの祈りから
この預言者は母親ハンナの涙の祈りから始まりました。信仰と祈りは新しいスタートを求める人に必ず必要です。なぜなら、主がその人を受け入れ、働かれるからです

2)主はサムエルを選び、聖霊に満たし導かれました。結果、民の救いとなります。
わたしたちもイエス様を信じ、新しく生まれ変わった者として主に仕える生きることを求めましょう。平安に満たされ、主と共に歩む最高の恵みです。

3)主は働き人を求めています。イスラエルに窮状を救うために、サムエルが導かれたように、主はこの世の滅びゆく人の救いのための働き人を求めています。マタイ9章 35〜38節
サムエルの登場は、主にあっては必然です。主はご自身を伝える者を求めておられます。
2024年10月13日説教要旨 サムソンの栄光と挫折 士師記13〜16章
 ヤコブ1章 12〜14節「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。 人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。

 サムソンはバプテスマのヨハネのように、生まれる前、御使いによって預言され、不妊の女から生まれました。主に聖別されたものと言われ、驚く力が与えられ、支配者ペリシテからイスラエルを開放する者として選ばれた者でした。

 主はその歩みを導かれ、サムソン一人でペリシテ人を打ち砕こうとします。その始まりは、ペリシテの女性との婚姻の時の出来事から起こり、エスカレートし、サムソンは主の霊の御力によりペリシテの軍に勝利し、イスラエルにある一定の太平をもたらしたのです。

 しかし、サムソンは大失敗します。遊女の言葉に従いナジル人の秘密を打ち明けてしまって、髪の毛をそられ、力を失い、ペリシテ人にとらわれてしまうのです。ペリシテ人は非常に喜び、彼の両眼をえぐり、足かせをして獄に入れます。

 主はサムソンの不従順のゆえに罰しますが、ペリシテをゆるさず、大きな打撃を彼らに与えます。彼らは勝利をタゴンの宮で祝おうと、サムソンを見世物に呼び出しますが、しかし、サムソンは再び力が与えられ、建物ごと崩壊させ、多くのペリシテの君、兵士、見物客を殺したのです。サムソンはその後、イスラエルの民に引き取られ、墓に葬られます。ペリシテは大打撃を受け、力を失ったからでしょう。私たちがこの話から学ぶべきことは、

1)私たちは素晴らしい選びの中にあること。 サムソンは自身の尊い立場の自覚に欠けていました。私たちはイエス様の十字架と復活により、彼への信仰によって素晴らしい価値ある選びの中にあることを自覚すべきです。

2)キリストの十字架と復活による新しい賜物 わたしたちはキリストの十字架によって、罪の赦しを受け、キリストに従うなら罪の力から解放され、キリストの復活により、新しい力、命に生きるのです。

3)選びが台無しにならないよう、日常生活の罪の誘惑には注意しなければなりません。 聖書には、サムソン、エサウなど多くの失敗した人がいました。注意しましょう。

2024年9月1日説教要旨 強く変わらない信仰(カレブの信仰)ヨシュア14章
イザヤ書 40章 28〜31節「あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」

 カレブはケニズびとと呼ばれ、エサウの子孫と言われています。ところが、ユダ族の司として、カデシでは斥候として主に選ばれ、その信仰と行動のゆえに、主に真っ先に嗣業を受けました。彼について、主は次のように言います。
民数記14章 24a節「ただし、わたしのしもべカレブは違った心をもっていて、わたしに完全に従ったので」
彼は周りの民とは違う心、真の信仰を持っていたのです。他の不信仰の民は滅ぼされ、カレブとヨシュアだけが良い地を見、良い地を嗣業として受けました。彼の信仰は、

1)強い信仰
主の御言葉に対して、決してできないと言わない信仰です。肉の思いではなく、主の思いを持っているのです。

2)主を待ち望む信仰
彼は主に従う信仰だけでなく、主の約束を待ち望む信仰を持っていました。だから、カナンの全地で勝利を得た時、彼は真っ先に主の約束を求めたのです。
ヘブル 10章 35節「だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。」
信仰とは、主の約束の言葉を信じます。

 カレブの信仰から学ぶことは、信仰とは力強く、変わらないものだと言うことです。
コリント第一 13章 13節「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。」
また、彼らの存在によって、イスラエルの信仰の歩みは守られました。教会も個々人が信仰的に歩むことによって、霊的に守られています。 詩篇133篇 1節「見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう。」信仰の成長を求めましょう。

2024年8月4日 説教要旨 神の裁きからの救い
ヨシュア記6章20〜21節「そこで民は呼ばわり、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。民はラッパの音を聞くと同時に、みな大声を上げて呼ばわったので、石垣はくずれ落ちた。そこで民はみな、すぐに上って町にはいり、町を攻め取った。そして町にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとくつるぎにかけて滅ぼした。」

 ヨルダン川を渡り、エリコの町に進みます。主は不思議な命令をされ、民は従順に従い、その時、主の不思議があって、イスラエルは民に損害なく町を占拠しました。

1)主に従う時、進む道を示されます。
わたしたちの信仰は、なすべきことを知るように導きます。信仰とはイエス様を主と信じ、新しい道を示され、進むことです。その時、信仰者は主の不思議なご計画を知ります。

2)信仰の結果、勝利を得ることです。
従う結果として、信仰者は勝利を得ます。
@永遠の命の救いを受けると言う勝利。
Aキリストに似た新しい性質を受け継ぐ勝利。

 ところで、このイスラエルの勝利は、エリコの住民に二つの道を示しました。それは滅ぼされた大多数の住民と救われたラハブの家族です。人は住民の虐殺をかわいそうと思うのです。しかし、私たちが同じ出来事を再び見るようになると警告し、聖書の黙示録の中に示されている恐ろしい主の裁きがあるのです。

1)このエリコの住民のように、主の恐ろしい怒りの裁きの前にある。
世の人は罪は呪いの中にあり、主の恐ろしい裁きが迫っています。その前兆を今の時代は明らかに示しており、その事実を恐れなければなりません。

2)ラハブのように信仰によって救われる人を招いている。
ラハブはその恐れの中から神の民の側につき、結果、ラハブの家族が救われたように、主は信仰に至る人を見出そうとされています。彼女のように、罪による裁きを恐れ、救いを求めてイエス様の下に来なければなりません。イエス様は身元に来るものを救うために十字架で身代わりに命を捨てられ、希望として蘇られたのです。イエス様を信じ、ラハブのように神の民に加わり救われましょう。

3)イスラエルの民の祝福 これは神の民がさらに聖書のが教える恵みに満たされる勝利を示していて、従順に従うことにより、罪から解放され神の民にふさわしい性質を受けるのです。


2024年7月7日説教要旨 強く雄々しくあれ ヨシュア1章
 ヨシュア記1章6〜7節「強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。」

 これからヨシュアとイスラエルの民は、人の計画ではない主が示す道を進みます。ヨルダン川を渡り、高い城壁の民を打ち破り、まだ知らない多くの町々を占領しなければなりません。すでに、敵は今までのイスラエルの進軍を知って、待ち構えているのです。主はヨシュアに上記の言葉を伝えます。何よりも心が強く雄々しくあれと言われるのです。

 この御言葉は誰もが心惹かれます。なぜなら、気弱く、勇気がなく、あっても多くの失敗を通して失うものです。人は人生を通して弱さや自身の愚かさを知るようになりますから、弱さを覚え、弱気になってしまうのです。

 しかし、信仰はその人に確信を与え、心に力強さを与えてくれます。
箴言24章 10節「もしあなたが悩みの日に気をくじくならば、あなたの力は弱い。」

 気落ちすること、心がくじけるなら、それは心の弱さを示すものだと言いますが、この真の意味は、信仰者は強くされているはずですと言っているのです。
様々な試練にも気落ちしないために、私たちは信仰があります。

1)人は信仰によって強くされる。
聖書に出てくる信仰者、アブラハム、モーセ、ヨシュア、ダビデなどは、信仰のゆえに何をも恐れずに雄々しくあった人たちです。信仰はその人の心を強くします。

2)信仰の力を受ける秘訣
@自分の弱さを知り、主に真に頼る信仰によって生きることです。
Aそして、御言葉に従う

 信仰者はただ強いだけでは不十分で、信仰を持ち、熱心に主の御旨に従っている態度が求められます。その時、主によって勝利を経験するのです。

 信仰者は謙遜と共に強く雄々しい心をもっているべきです。そうあるべきです。それによって、主の御旨をなすことを求め、恐れることなく前に進めます。

 >「宇宙は人類のために設計されている」説が・・yahoo newsへのリンク
2024年6月2日 説教要旨 主の祝福と呪い  申命記27、28章(申命記11:26〜32) ガラテヤ3章13〜14節「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。」  

 申命記11章 26節「見よ、わたしは、きょう、あなたがたの前に祝福と、のろいとを置く。」とあり、イスラエルに律法が与えられたとき、民の前に祝福と呪いが置かれたのです。それは律法に従えば祝福が、背けば呪いが来ると言う恐ろしい宣言です。

 私たちが気づかなければならないことは、これは人類全体に向けられおり、この真理がイスラエルによって明らかにされていると言うことです。私たちの前にも祝福と呪いがあり、将来において主の裁きとして起こることです。

 もともと人は、神様に愛され、祝福を受ける者として創造されました。しかし、罪が人に入り、人は皆呪いを受ける者となっていると言うことです。私が教会に救いを求めて駆け込んだのは、自分の望みのないむなしさの為でした。何をしたとしても、そこに希望がないと理解してしまったのです。今はもっと明確に、人は神様から離れ、罪深いただ滅びを待つ価値なきもの、神様の呪いを受ける者となっていると信じています。

 しかし、主はこの呪いの宣告の中にも、罪人の救いを示してくださっていました。それは、呪いの山に律法を記し、自然のままの石の祭壇を築かせ、犠牲を捧げるように命じられたことです。 これは律法によって罪人と宣告され、呪いを受ける者となった者、私たちの身代わりに、人によらない主からの罪の贖いがあることを示しているのです。それがクリスマスに天から下られ人となってくださったイエス様を示し、十字架の上に呪いとなって死んでくださったイエス様を教えてくださっているのです。上の聖句に「「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。」とある通りです。 そして、「アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。」とあるのです。

 私たちはイエス様を信じる時に、呪いから解放され、祝福の道に導かれます。そしてこの祝福は、様々な祝福を与えてくださるもので満ち、私たちを信仰による、真に喜びのある者としてくださるのです。主に心から感謝します。
2024年5月5日 説教要旨 律法と信仰と愛
申命記14:2〜3「あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。忌むべき物は、どんなものでも食べてはならない。

 主はイスラエルの民に向けて、「主の聖なる民「自分の宝の民」と呼び、日常生活の命令を伝えます。主は特別に選び、愛する民に律法を語られ、御言葉を語られる時、主との親しい関係の中にあることを覚え、忠実に従うことを求められています。 

1)食べ物の戒め
@食べてよい獣 3〜8節 A食べてよい水の中の生き物 9〜10節 B食べてよい清い鳥 11〜20節 ただ、自然に死んだものは禁止され、血を食べないよう命じました。
2)十分の一の穀物と獣の初子を、毎年定められたところで家族と共に食し楽しむ。
また、3年ごとに十分の一を町に蓄え、貧しい人に施し喜ばせるよう命じます。
3)7年ごとに借款をゆるし、兄弟である奴隷を解放し去らせる命令。
この律法には二つの大事な意味が含まれています。

1)服従することにより、神への信仰、神への愛を示す。
自分の思いを捨て、主に信頼し、服従する主への信仰と愛の証です。
2)隣人への愛 律法の行為は、隣人への哀れみと愛を証しするものです。貧しいものをほっておけない、自己犠牲を伴う愛の行為の実践です。そして、実践は主の御心を深く理解する者へ成長させます。これらの命令はどれも利己的なら難しいことで、主を恐れ、たっとび、服従する行為であり、自分の思いを入れる隙はありません。

 しかし、主イエス様が世に来られて、人は信仰により新しく生まれ変わり、主の御心にそった者へ変えられました。キリストの霊が信仰者の上に下る時、彼らは次のようになりました。 使徒行伝/ 02章 43節「みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。
使徒行伝2章 44〜45節「信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた

 心が変えられ、進んで愛する者に変えられたのです。主が私たちにご自身と同じ愛を持つことを望まれ、御子イエス様を世に下し、大いなる愛を示され、私たちを信仰へ導き、愛を教え、御霊が私たちを愛の人に作り変えて下さるのです。このイエス様を信じましょう。

2024年4月7日 説教要旨 申命記8章 いのちのパンによって生きる
申命記8章 1〜3節「わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、それを自分のものとすることができるであろう。
あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。


 天からのマナは、ヨルダン川を渡ると降ってくることを終えます。荒野の地でイスラエルは毎日のマナによって命を保つことができました。
40年の荒野の旅は、厳しい試練の時であり、同時に主が命と生活を守られたときでもありました。その時、主は民の信仰を試され、主が語られる御言葉によって、信仰によって行い生きると言うことを教える旅でもあったのです。1,3節
「生きる」と言うことは、神様が人に全歴史を通して教えようとしておられることで、それはアダムとエバが罪を犯し、死ぬものとなったことからの回復であり、人の幸福を教えることでした。

1)主の戒めを守って生きる。
1節「「わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ

 聖書の御言葉を守るなら、その人は生きる。3節 この真理は今も変わりません。

2)イエス様を信じて生きる。
ヨハネ6章 57節「生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。
イエス様は私たちにご自身への信仰によって生きることを明確に教えられました。

3)幸福になるため 申命記8:16
私たちは神様が幸福を与えるご計画を持たれていることを知っていますが、それはイエス・キリストを主と信じる道であることを知らなければならないのです。
2024年3月3日 説教要旨 経験から学ぶ信仰 申命記1〜3章
詩篇/ 119篇71〜72節「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。あなたの口のおきては、わたしのためには幾千の金銀貨幣にもまさるのです。」

 申命記は、新しくなった民に向けて主の律法を再びモーセが語る書です。もはやモーセはヨルダン川を渡ることはゆるされず、1〜3章では、民に向け今までの荒野の歩みを振り返り、その経験から律法に向かう信仰を教えようとします。
荒野の出来事

@カデシ・バルネアでの大失敗 申命記1章
ここで民は主の命令への不忠実による大きな災いの報いを経験しました。

Aエドムとモアブへの憐れみ 申命記2章
彼らがエサウ、ロトの子孫であるゆえに、彼らの土地は彼らに与えたものとして、穏やかにその地を過ぎることを命じました。

Bヘシボンとバシャンを滅ぼし、領地を取るよう命じました。申命記2〜3章その時、主は彼らの王の心をかたくなにし、戦いに向かわせ、彼らを滅ぼします。

 主はモーセにより、イスラエルの民が失敗を通して従順を学び、その時、主が戦われ勝利する経験を積ませられていることを教えます。
学ぶべきことは、

1)主に聞き従う姿勢
信仰とは主に聞くだけではなく、従わなければ意味がない。信仰とは聞き従うこと。イスラエルは注意深くどんなことにも聞き従う時に、勝利の祝福がありました。

2)その時、主が戦ってくださる
主は私たちの能力を見て命じておられるのではなく、聴いて従う時には、主ご自身が力を与え戦ってくださることを教えようとされています。主に委ねる信仰です。

 私たちは今、イスラエルの民より、より優れた救いと恵の世界に住んでいます。それはキリストの十字架と復活により、ただ信じる信仰によって救われる約束の時代に生かされているのです。だから私たちが最も大切にする信仰とは、イエス様への信仰であり、その愛を信じ、豊かな恵みを受けて、真心から主に従うことです。今までの経験を通して、信仰の在り方を深く学び、苦しんだこともよかったと言える信仰を持ちましょう。

2024年2月4日 説教要旨 復讐とキリストの教え 民数記31章
コリント第二の手紙6章1〜2節「わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた」。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」

 民数記31章は、ミデアン人に対する復讐を命じる特別なところです。主が復讐を命じ、兵士を選び送り出します。彼らは誰も失わず、多くの戦利品を獲て帰ってきました。

1)復讐の中に示される主の主権
@復讐に関する主の主権
復讐の権威は主だけが持たれ、人による人への復讐に対しても律法によって認められなければなりません。私たちは復讐心を持つことは良くないことです。(ローマ12:19)
そして、復讐の恐ろしさを知ります。(へブル10:31)

A地のものに対する主の主権
彼らは戦いに出て敵を打ち破り、多くの戦利品を持ち帰りました。それを主は民に分配しますが、第一に主にささげ、主の教えに従い、民に分配されます。それは地のものは主のものであることを理解させます。詩篇50:12、マタイ13:12

B地上における神の国と失敗
主のご計画は、地上にアブラハムへの約束を実行することでした。律法によりその姿を示し、信仰と従順によって祝福を与えようとしたのです。しかし、この計画は失敗します。

2)キリストによる新しい命令
@キリストが世に来てくださることによる救い
このアブラハムへの安息の約束は、イエス様が地上に来てくださることによる達成され、今成就に向かっています。キリストの十字架と復活はその源泉であり、御霊の内住がそのお力です。武力でなく、信仰によって、平安の神の国が今教会にあるのです。

Aキリストによる愛と平和の教えと神の国の完成に向けて
人の心を新しくすることにより、主の真の教えを根づかせ、真の神の国そなえをします。そして、主の戦利品、霊的な成長、救われる人の獲得を目指しています。

 旧約の話を読んで、今は本当に恵みの時、救いの日であることを覚えます。人の罪の奥深さにも気づかされ、明確な悔い改め、信仰をもって主に従う大切さを実感します。
2024年1月7日 説教要旨1勝利を信じる新しい出発
 民数記 21章 7〜9節「民はモーセのもとに行って言った、「わたしたちは主にむかい、またあなたにむかい、つぶやいて罪を犯しました。どうぞへびをわたしたちから取り去られるように主に祈ってください」。モーセは民のために祈った。そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。

 21章から、荒野の旅の最後の40年目、モーセ最後のご奉仕の時です。これからイスラエルの進軍の邪魔をする敵との戦いが始まり、荒野の時と違い、主は祈りを聞かれ、勝利を与えてくださいます。

1)祈りに答えてくださる主
これからの民の進軍の特徴は、主が祈りに答えてくださることです。民の不信仰の結果、荒野をさまよったとき、主は祈りに答えませんでした。申命記1:43〜46 しかし、主の裁きの年が終わったこの時から、主は再び祈りに答え導かれました。新しい出発です。

2)勝利の後のつまずき
しかし、勝利の後、その後の荒野の旅が厳しく、堪え難くなり、不平を言います。民数記20:4〜5 人はなかなか主の望まれる信仰者にはなれないようです。信仰が弱く、肉の欲に目をとめ、信仰から目を離しがちなのです。(箴言24:10)そして、その報いとして恐ろしい火の蛇の裁きを受けます。

3)主に立ち帰り、主の救いを受ける
しかし、彼らはすぐに悔い改め、主に救いをもとました。信仰がある時、何かの失敗があっても、罪に気づくなら、信仰は悔い改めに導き、主は祈りに答えてくださいます。神様は憐れみ深く、すぐに助けをくださる主です。青銅の蛇を掲げ、それを見上げれば生きるとしてくださいました。

 このように信仰者は勝利の道を歩むとき、失敗もありますが、すぐに悔い改め、正しい道に進み、主に導かれるのです。今、私たちには十字架にかけられたキリストがいてくださいます。彼によって罪が許され、救われ、日々の過ちもすぐに悔い改めて、祈り、信仰に立ち返るなら赦されます。2024年、私たちも勝利を信じる新しい出発を、強情を捨て、主イエス様への信仰によって出発しましょう。