教会の予定 他 |
教会は2014年に上記に引越しました。 |
12/1 の説教要旨を追加 |
2/9(日) ”うちんく南国”集会 |
2/16(日) 婦人ランチ会 |
2/17(月) 中村集会 |
2/23(日) ”うちんく宇津野”集会 |
2024年12月1 日説教要旨 災いを恐れない信仰 詩篇34篇7〜9節「主の使は主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる。 主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。 主の聖徒よ、主を恐れよ、主を恐れる者には乏しいことがないからである。」 ダビデは油注がれ、主に王として選ばれます。主のご計画が進み、神の霊により与えられた賜物が用いられ、サウルのそばに仕えるようになります。さらに、イスラエル兵が恐れて尻込みする中、ペリシテ軍の巨人ゴリアテの挑戦に発奮し、主の名によって戦い打ち破り、首を切り取るのです。結果、イスラエルは大勝利、ダビデは英雄となり、王となる一歩を踏み出すのです。 ダビデのゴリアテを恐れない勇気はどこからきたのか?彼は人が陥る世の恐れすべてに勝利しています。社会には次の恐れがあります。 1)人を恐れる。彼は絶対的な力を誇示する巨人ゴリアテを恐れませんでした。 2)失敗を恐れる。彼は主の名によって必ず勝利すると失敗を恐れませんでした。 3)死を恐れる。彼は死を恐れることなく戦いました。 彼にはこれらに勝利している信仰心がありました。それが「主を恐れる」こと。私たちはこの信仰を主に教えていただきたいのです。 詩篇34篇 11節「子らよ、来てわたしに聞け、わたしは主を恐るべきことをあなたがたに教えよう。」 「主を恐れる」とはどういうことでしょうか? 世の恐れが人の心に入った始まりは、アダムとエバからです。 創世記3章 10節「彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。」 恐れは罪から始まり、全き信仰を失ったことによります。これが世のものを恐れる始まりで、主を恐れ、敬うことではありません。 主を恐れるとは、神様への畏敬の心です。神の偉大さを認識し、尊敬している従順な心で、その心があるため主の戒めをも喜ぶのです。 正しく主を恐れる時、人は世の恐れから全く解放され、主の戒めを喜び、自発的に従うダビデのような心が与えられます。私たちがさらに一歩信仰の成長を願うとき、それは主をまごころから恐れる心を持つことです。 >過去の週報、説教動画は「今週のメッセージ」 にあります。 |